ローマ 5章9~11節 救いの確かさ

2023年2月24日

(内容)

  • 私たちが罪人であった時にキリストの血によって救われた。今はキリストに結ばれて生きているので、私たちが最終的に救われることはまったく確かである。

(黙想)

  • パウロは3章21節以下で、人はキリストを信じる信仰によって義とされることを語った。罪が赦され、さらに義とされ、神の前に正しい者とされたのである。
  • しかしキリスト者として歩んでいく時、自分の振る舞いによっては、あるいは自分の生き方によっては最終的な救いが確かなのかどうか、不安になることがある。つまり最後の審判で救いに入れられるかどうか心配になることがある。パウロはこのロマ書の8章の最後まで、信仰によって義とされた私たちの救いは確かであることを語り続ける。
  • この段落で「なおさら」という表現が2回出てくる。そして「今」という言葉も2回出てくる。「和解」という言葉も出てくる。

5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、「なおさら」のことです。
5:10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、「和解」させていただいた今は、御子の命によって救われるのは「なおさら」です。

  • この「今」は私たちが信仰を得た時と対比されている。過去のある時点で私たちはキリストを信じ洗礼を受け、信仰によって神から義とされた。神の御前に私たちは義なる者とされた。それまでの私たちは「罪人であった」。そしてキリストの血によって、私たちは義とされた。神は罪人を信仰によって義とされるのである。
  • 今、キリストの血によって義とされたことを思う時、私たちが神の怒りから救われるのは、なおさらのこと、つまり当たり前のことだとパウロは語る。
  • ここにある「神の怒り」とは最後の審判において、神が罪を犯した者に対して怒ることを意味していると考える。神は信仰によって罪人さえ赦して義とされた。今私たちはキリスト者、信仰者である。罪人さえ赦し義とする神は、将来の審判において信仰者を救いに入れるのは当たり前だとパウロは語る。罪人さえ救う神が信仰者を救わないはずがない。
  • キリスト者は信仰によって義とされているのだから、最後の審判において救いに入れられるのは確かなことですとパウロは語る。
  • 10節でも同じことを別表現で繰り返し語る。罪人の代わりに敵という言葉を使う。つまり私たちは神に敵対して生きていた。意識的に神を憎み、神に敵対していなくても、神なしに生きてきた。神の御心に背いて生きてきたのである。つまり罪を犯して生きていた。その時、御子の血によって義とされ、神との和解を受けた。キリスト者、信仰者は神との和解を受け、神との交わりに生きる者とされた。
  • そして今、神との和解の中に生きており、神との間に平和を得て生きている。さらにキリスト者、信仰者は御子の命によって生かされているとある。御子の命によって生かされるとはどういうことか。キリストの死は、罪を赦すための贖罪の死であった。では御子の命によって生かされるとはどういうことか。
  • それは信仰者がキリストと結ばれて生きるということである。

ローマ 6:3
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたち

ローマ 6:8
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

  • 御子の命によってとは、御子に結ばれていることを意味する。キリスト者は、キリストと共に生きている。
  • 神に背いて罪人であった時、私たちはキリストの死によって神との和解を受けた。そして今は、キリストに結ばれて、キリストと共に生きている。それなら最後の裁きにおいて救われるのは、なおさら確かであるとパウロは語る。
  • 神の愛は、人を救うことに現れている。人を救うというのは、神のかたい決心であり、変わることのない決心であり、愛に基づく決心である。
  • キリストを信じて神の前に義とされた人の最終的な救いは確かだとパウロは書く。キリスト者が信仰を得た後、どんな歩みをするかわからないのに、そんな断言をしてよいのかと人は疑問に思うかも知れない。信仰から離れる人だっているし、困難に直面し、信仰を捨てる人もいるかも知れない。先のことはわからないのに、そんな断言をして良いのかと人は言うかも知れない。
  • 神の愛は、そんな疑問を吹き飛ばす。神の愛は、信仰者を真実な信仰の歩みへと導く。神の愛を真に知った人は、神を愛して生きるようになる。信仰からそれることはない。信仰者は、ますます救いを確信して生きる者である。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>私たちを救いに導き、救う方。神の救いは罪を赦すだけではなく、信じる者を義とし、神との和解の中におく。さらに神の愛を知らしめ、神を愛して生きるように導く。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神の愛を受けとめること。神の愛を深く受けとめること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。あなたが私たちを深く愛しておられることを知らされ感謝です。
  • 信仰者として、あなたがどのように私たちを愛しておられるのか、やはり言葉で表現したいです。言葉で表現しないと人に伝えることはできません。言葉で表す努力をしたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
  • 神に愛されていることを聖書に基づき、言葉で表現する。