マタイ福音書 5章21~26節 殺してはならない

2023年9月7日

(内容)

  • 昔の人は殺してはならない、人を殺す者は裁きを受けると教えた。しかしイエスは兄弟に腹を立てたり、愚か者という者は人を殺したに等しいと教える。

(黙想)

  • 十戒には、「殺してはならない」とだけある。「裁きを受ける」というのは追加であり、人間が追加したものとなる。イエスは律法の精神、意味を大切にする。人を殺してはならないは、殺人という行為をしなければよいというものではない。
  • イエスは、兄弟に対して怒ったり、愚か者と言って軽蔑することも、人を殺すことと同一であるという。共通していることは相手を攻撃することである。イエスは他者に対して攻撃的になることを戒めている。
  • では、そういう気持ちになったらどうしたらよいのか。それはその時の状況によって、考えることになる。イエスは別な箇所で、敵を愛し、迫害する者のために祈れと教えている。
  • 23節に「だから」とある。この「だから」が問題である。AだからB、となれば、そこには論理的な関係が生じる。Aが成り立てば、Bが成り立つという関係が生じる。
  • この場合、Aは相手に対して敵意を感じることは人を殺すことに等しいという意味である。Bの部分は、礼拝に行くとき、自分に対して反感を持つ人、訴える人がいることを思い出したら、、仲直り、和解をしなさいという教えである。
  • AならBという関係が理解しにくい。誰かに敵意を抱くことは人を殺すことに等しい。だから自分に対して反感を持つ人と仲直りしなさいとなる。
  • 敢えて言うなら、仲直りをしないと、自分に対して反感を持つ人が自分を殺すかも知れないし、自分に対して怒ったり、自分を愚か者というかも知れない。そうすると相手に「人を殺してはいけない」という戒めを破らせることになる。それを防ぐために仲直りをしなさいとなる。相手に罪を犯させないために仲直りしなさいと相手のことを考えていることにある。
  • そうすると「人を殺してはならない」という戒めの根本精神は、他者に対して攻撃的な態度を戒めると同時に他者にこの罪を犯させないように努力することも含む教えとなるのか。

(聖書の教え)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>憎み憎まれる関係を打破し、他者に対する愛に生きることが勧められる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日もディボーションをすることができ感謝します。私に対して批判する人、中傷する人がいます。心を悩ませますが、今日の聖書は、他者に対して攻撃的な思いは適切に対処すること、自分に反感を持つ人とは仲直り、和解をすることが勧められていました。
  • 今日は、このことについて、祈りたいと思いました。何をどのように祈れがよいのかを考え、祈りたいと思います。
☆与えられた導き
  • 私を悩ます人のための祈りをする。