ローマ 4章6~8節 神の慈しみ

2022年11月30日

(内容)

  • パウロは、不法を赦された人の幸いを詩編32編を引用して語る。

(黙想)

  • パウロは、行いによらず、信仰が義と認められることの例として詩篇32編を引用する。不法を赦された人、主から罪があると見なされない人は幸いであると語る。
  • その幸いとは何か。信仰によって義とされた人はどのような幸いを見いだすのか。詩篇32編を読んでみる。
  • 罪を赦された人は、神の慈しみを知り、神の慈しみに生きるようになる。そして神に祈る者となる。大きな災いが及ぶことはなく、神は隠れ家、苦難から守ってくださる方である。神は救いの喜びをもって囲んでくださる方。そのような方として神を知るとある。
  • さらに神は、その人を目覚めさせ、行くべき道を教える。そして神に従う人にされていく。
  • このような幸いがあることが詩編32に書かれている。一番大事なことは神の慈しみを知ることだ。神の慈しみを知ってこそ、赦しの恵みを知ることになる。罪を赦され、罪を責められることがなくてよかったという心の安心だけが義とされる恵みではない。義とされる恵みはもっと大きい、深い。神の慈しみを知るのだから。
  • そうすれば、神を信頼できる方と知り、信頼する。神は隠れ家となってくださる方と知る。自分に行くべき道を教えてくださる方として知る。このように神を知ることが義とされることの幸いであると詩篇は語る。
  • 僕は罪の赦しを受けたとき、詩人のように自分が犯した罪に対する神のみ手が重かった。しかし赦されていることを知り、平安に導かれた。その時は、赦されたことが心の中を閉め、神の慈しみに心を向けることはなかった。神の慈しみを思うことはなかった。
  • 今からでも遅くはない。神の慈しみに目を向け、慈しみ深い方として神を知りたい。あの時のことを思いめぐらし、神の慈しみを自覚したい。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>不法を赦された人は幸いである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、不法が赦された人、あなたから罪があるとみなされない人は幸いであると詩人は歌いました。詩人はあなたの慈しみを知りました。あなたは罪を憎み、罪を裁く正しい方であるだけではなく、私たちを愛し、私たちを生かしてくださる方です。罪を犯した者を拒み、見放すのではなく、むしろご自分のもとに招き、ご自分のもとに置き、慈しみ、私たちを大切な存在と見てくださいます。そして私たちに行く道を示してくださいます。
  • かつて信仰をもつ前ですが、教会の礼拝に通っていました。ある時、自分の罪に打ちのめされて、罪を責めるあなたの御手が重く、どうしていいか分からなかったとき、御子の犠牲のゆえにあなたは私を赦してくださる方と信じ、赦しをいただくこととして、洗礼を受けました。その時は、赦されたことと平安にだけ目が向き、あなたの慈しみに目を留めることはありませんでした。
  • 今日は、赦しを与えてくださったあなたの慈しみに目を留めたいと思いました。あなたのいつくしみについて思いめぐらすことにします。導いてください。

☆与えられた導き

  • 神の慈しみを思いめぐらす