ローマ 2章1~5節 悔い改めの勧め

2022年7月19日

(内容)

  • 他人を裁きながら自分を罪に定めている者たちに悔い改めることを勧める。さもないと怒りの日に神に裁かれる。

(黙想)

  • ユダヤ人たちは異邦人を神を知らず、神の律法を知らず罪を犯していると裁き、軽蔑していた。イエスに言わせれば、ユダヤ人たちは偽善者であった。ユダヤ人たちも律法を守っていないからである。文字通りに守っていたとしても、律法を与えた神のみ心に生きていなかった。
  • 人というのは他者を裁きながら自分も同じことをして、自分を罪に定めている。人は自分に甘く他者に厳しい。人は他者を批判し、優越感を感じ、自分に安心する。しかし自分も同じことをしている。
  • 神のもとに行き、人は悔い改めるのがよい。神は慈愛と寛容と忍耐に富む方だから。しかし人は自分の過ちや罪を認めたがらない。そうすることは自分を否定するように思える。自分のプライドが罪を自分の非を認めることを許さない。だからといって罪を抱えたまま生きていてよいとは言えない。
  • 人は自分の行ったことを後悔し、自分を責める。しかし悔い改めは、後悔することとは違う。神のもとに行き、罪を告白し赦しを求め、新たに生きる力を神からいただくことである。神の前に生きることを決断することが悔い改めである。そしてあなたは生きてよいとの励ましを得ることである。自分の力ではなく、神によって生きることである。
  • 人は神との交わりに生きるように造られているので、神のうちに憩うまで、人は自分自身を喜ぶことはできない。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>終わりの日に正しい裁きを行う方
  • <御父>慈愛と寛容と忍耐の方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>罪を悔い改めること

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、多くの人が悔い改めることに背を向けて生きています。そしてこの世界は争いや混乱、嘘、ごまかしに満ちています。あなたは人が罪を犯すにまかせているのでしょうか。人は蒔いた種を刈り取ります。同時に忍耐強く善を行っている人たちもいます。
  • 人の世は終わりの日まで、罪に満ちた世界なのでしょうか。教会は福音を宣べ伝え続けます。そしてキリスト者は救いの恵みに生かされ、福音を証し、あなたをたたえて生きていきます。
  • 怒りの日にあなたの正しい裁きが現れ、悔い改めない者たちがあなたによって裁かれ、滅びに入れられます。あらためて自分に近しい人たちの救いを思います。今日も彼らの救いを祈ります。
☆与えられた導き
  • 自分の近しい人たちの救いを今日も祈る。