ローマ 1章24~32節 神を認めぬ者

2022年7月11日

(内容)

  • 神は人間が罪を犯すにまかされたこと、具体的な悪徳表が書かれている。

(黙想)

  • 24節と26節に「まかせられ」とあり、28節では「渡され」とあり、この段落は三つに分けられる。神は、人間が罪を犯すのをすぐに咎めることをなさらず、人間がしたいようにさせている。
  • 24節以下では、人間は造り主の代わりに別のものを造って拝んでいること、つまり偶像礼拝をしているとされる。26節以下では、人間が恥ずべき情欲に動かされていることが指摘されている。28節以下では、してはいけないことのリスト、悪徳表が書かれている。
  • 28節で「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました」とある。神を認めない者は、結局自分中心に物事を考え、神から見て、してはいけないことをするようになる。人は、他の人も同じようにしているからと考えて自分の行動が間違っているとは思わない。
  • 29節以下の悪徳表に書かれていることをしたことがないと断言できる人はいないだろう。つまり人は皆罪を犯して生きている。自分を誇るために、自分を守るために、自分の利益を得るために、人はこれらのことを行い、他の人もしていると考えて、自分を正当化する。
  • 32節で「人々はこのようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っている」とある。現代は無神論が前提の社会であり、神の定めを知っているとは言えないと考える。現代では教育により、悪徳表に書かれていることをしないように人は教えられる。しかし人は守ることができない。時に人は良心の呵責を覚える。自分を責めることもある。しかし神に向き合うことはないのが現実である。
  • かくして人は神の怒りを自分の身に招くようなことをしながら生きている。
  • この手紙の最初の読者はローマのキリスト者であり、自分の罪を知っている者たちが読む。自分が神の怒りを受ける者であると知っており、この怒りから救われていることを知っている。このような人たちにパウロはキリストによる救いがいかなるものかを明らかにして行く。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は人間が悪しき思いを持ち、悪しき行いをするのをいちいち咎めない。人間をするにまかせる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>自分が、神の怒りを受ける者であったことを思い起こすこと。
  • <警告>他の人もしているからと考え、自分の間違った行いを是認していないか。
  • <警告>神がするがままにさせている自分の悪しき行動はないか。まあいいか、といって改めるのをためらっていることはないか。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝です。人は自分の罪に気づきにくいものです。かつて私は礼拝に通っても、なかなか自分の罪が分かりませんでした。しかし時至って、あなたは私に、私の罪を思い知らせてくださいました。私は悔い改め、イエス・キリストを信じる者に導かれました。そして45年の信仰生活を送ってきました。信仰を得たことは本当に幸いなことでした。信仰を得ないで生きる人生を想像することはできません。
  • そして牧師へと導かれ、福音を宣べ伝える者にされ、聖書に親しみ、福音を学び、福音を伝えてきました。感謝です。でも福音を十分に理解しているのかと言えば、そうは言えません。福音の深みをいまだ学んでいる最中です。そして学んだことを伝えたいとの思いです。
  • 今、ロイドジョンズ牧師のロマ書の講解説教を読んでいます。パウロが語る救い、福音について学んでいます。この本から学ぶことができるように願います。導いてください。
  • 今、自分が改めることがあるのか否か、思いめぐらしますが、他の人がしているからいいだろうと是認するようなことはしていませんし、改めるべきことをためらっていることもなく、幸いな歩みができていることを感謝します。
☆与えられた導き
  • 今日も『Romans chapter 1』を読む。