ローマ 1章1~4節(3) 聖霊によれば

2022年5月9日

(内容)

  • キリスト・イエス。この方は肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者からの復活により神の子と定められた方である。

(黙想)

  • イエスという名は、地上に生まれた者につけられた名である。個人に付けられた名前である。キリストはメシア、救い主を意味する言葉である。名前ではない。イエス・キリストは姓名ではなく、イエスはキリストであるという信仰の表明を要約した言葉になっている。
  • 「肉によれば」「聖霊によれば」とある。これは人間についての二つの見方があることを教える。「肉によれば」とは肉体から見れば、人間の物理的存在として見ればの意味であり、イエスはダビデの子孫から生まれたとの意味である。マタイの系図ではダビデの子孫のヨセフを父としている。
  • 「聖霊によれば」。人間についての霊的な見方があることを示す。
  • イエスは「神の子と定められた」。定めたのは神である。今まで神の子でない者を神の子と認めたという意味ではない。本来神の子である方が人間となられ、イエスという名を与えられたのである。イエスは本来神の子である方である。そのことはイエスの地上生涯では明らかではなかった。今や死者からの復活を通してイエスは、キリストであること、神の子であることが明らかになったとの意味。神がイエスはキリストであり、神の子であると宣言された、あるいは、イエスはキリストとして神の子として働きに着いたとの意味。
  • イエスは、霊的に見れば神の子であり、死者からの復活を通して、神の子としての働きを始められたのである。「神の子に定められた」とは、神の子であることが公にされた、神の子としての働きを始めたとの意味と考えてよいと思う。「定めた」という訳はわかりにくい。
  • 私たちキリスト者も肉によれば両親から生まれた人間であるが、霊によれば、つまり洗礼を受けることにより、聖霊の働きにより新しく生まれ、神の子とされている。キリスト者は霊的に見れば神の子なのである。
  • 人間を救うために神である方が人となり、十字架の上で死に、復活された。これが救いの出来事であり、パウロはキリストによる救いが何かをこの手紙の中で明らかにして行く。私はこの救いをいただき、神の子として生かされている。この福音の恩恵を受け取っている。その福音の恩恵とは何か。イエス・キリストは私に何をしてくださる方なのか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は御子を神の子と定めた方。定めると訳された言葉には declare(宣言する)の意味もある。
  • <御子>人間としてヨセフを父として生まれ、霊的には、神の子であると定められた。復活により神の子であることが公にされた。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>キリスト者も霊的には、神の子と定められたと言えるのではないか。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日は今まで引っかかっていた「定められた」の意味について考えることができ感謝します。死者からの復活によりイエスは、御子であり、キリストであることが公に神により宣言され、天におられるが御子としての働きを開始されたことを教えられました。ペンテコステの日にペトロは説教しました。

使徒2:36
だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。

  • 天の父なる神さま、考えてみると、神が人となり十字架で死んで、人間の救い主になるなんて私たちに想像できることではありません。そこまでしなければ私たちは罪から救われないのですね。いったい、罪とはどんな問題なのでしょうか。
  • 今日は、人間についての二つの見方があることに気づかされました。肉によれば、私たちは両親から生まれ、聖霊によれば、神の子として新しく生まれたことを確認しました。うれしいことです。神の子として生きるとき、罪に勝利して生きることのできることを教えられます。
  • 天の父なる神さま、このことを知らないクリスチャンが多いのです。知らされても自分のようなものが、と信じない人が少なくないのです。本当に残念です。このことをブログに書いて、キリスト者は神の子とされていることを伝えたいと思います。
☆与えられた導き
  • キリスト者は神の子とされていることを伝える。