マルコ福音書 15章21~22節 ゴルゴタに向かうイエス

2022年4月8日

(内容)

  • 兵士たちはイエスの十字架をキレネ人のシモンに無理矢理に担がせた。そしてゴルゴタの丘にイエスを連れて行った。

(黙想)

  • ピラトのもとで死刑が決定したイエスは鞭打たれた。そのイエスをローマの兵士たちはなぶりものにした。からかい、棒でたたき、つばを吐きかけ、もてあそんだ。そして兵士たちは十字架につけるためにイエスを外へ引き出した。イエスは十字架を担いで歩き始めた。十字架の横木を担いだと思われる。
  • 21節「そこへ」とある。ローマ総督の官邸から出てどれほど歩いたのか分からないが、兵士たちはキレネ人シモンに十字架を無理に担がせたとある。
  • イエスは前夜弟子たちと共に食事をし、ゲッセマネの園で祈り、捕らえられ、大祭司のもとで裁判を受けた。そして夜が明けてピラトのもとに連れて行かれた。夜明け前まで寝る時間があったのかどうか分からない。寝る場所を提供されたのかも分からない。睡眠不足で疲労もあったと思われる。
  • ピラトはイエスを十字架につけるために兵士たちに引き渡すが、その前にイエスを鞭打った。どのような鞭で何度打たれたのか。ローマが使う鞭は数本の革のひもがあり、革ひもの先の方には金属の輪がついているとのことで、この金属の輪が鞭打たれた肌に大きな傷跡を残したと思われる。そんな鞭で何度か打たれれば出血を伴い肉体は相当なダメージを受ける。
  • だから十字架を担いでローマ総統官邸を出たイエスは相当弱っていたにちがいない。歩くだけでもしんどいのに十字架を担ぐのは容易ではない。それを見たローマ兵は、キレネ人シモンに無理矢理に担がせた。シモンは、イエスが歩くのを人々と共に見ていたと思われる。
  • いったいどんな気持ちでイエスは十字架を担いで歩かれたのか。シモンが担いでからは、ただ歩くだけかも知れないが肉体にダメージは受けている。痛んだ体を引きずってゴルゴタの丘まで歩く。つらいことと思う。
  • イエスは、なんでこんな目に自分は遭うのかとは考えなかったと思う。苦難に遭うことをイエスは知っていた。ただそれが現実となり、その肉体はひどく痛んでいる。苦難を受けることは神の計画の中にあると知っている。いくら何でもこんなにひどい目に遭うとは、と神を呪ったか。それもないと思う。とすれば、イエスはひたすら忍耐したということになる。何のために忍耐したのかといえば、人々を罪から救う神のみ業を遂行するためである。
  • ローマの兵士からは王の格好をさせられてからかわれ、棒で頭をたたかれ、つばを吐きかけられた。イエスは怒りを覚えたか。たぶん怒りは感じなかったと思う。ローマの兵士は組織の末端の人間であり、不満を抱えており、そんな人間の卑劣な面にいちいち怒ることはしなかったと思う。人間の卑劣さを思い、悲しんだのではないか。そんな人間に憐れみさえ感じたかも知れない。
  • ゴルゴタの丘まで、相当辛い状態を忍耐しながら、歩かれた。それは何のためかといえば、人間の救いのためであった。
  • 救い主が死ぬなんておかしいと世の人は言う。実際、イエスが十字架につけられたとき、人々は、自分を救え、とイエスをあざけった。人間は自分を救うことはできない。イエスは人間に代わって罪に対する神の怒りを十字架の上で受けた。自分の命を犠牲にすることこそ、救い主には必要なことであった。
  • 肉体的につらい状態にあって、何かを考える余裕はイエスにはなかったと思う。心の中で祈ることはできたと思う。祈っているとするなら、何を祈っていたのか。「この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」(マルコ14:35)と祈っていたかも知れない。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>鞭打たれひどく痛んだ体を引きずりながら、忍耐をしてゴルゴタの丘まで歩かれた。

☆神が私たちに求める生き方

  • <勧め>イエスは私たちを罪から救うためにこの苦しみを味わっておられることを真剣に受けとめること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、十字架を担いで歩くイエス様の姿、シモンに担いでもらった後、ひどく傷つきズキズキと痛む体をひきずりながら歩くイエス様のお姿は見るに堪えません。でもこの方が私たちの救いのために、ゴルゴタの丘に向かって歩かれていることを忘れません。
  • 今日は、受難の讃美歌の中から、イエス様の苦難を覚えて賛美したいと思います。
☆与えられた導き
  • 受難の讃美歌を歌う。