マルコ福音書 14章12~21節 人間の心

2022年3月14日

(内容)

  • イエスは弟子たちに命じて過越の食事をする場所を用意させる。食事の場面で、裏切り者がいることを指摘し、御自分が世を去ることを告げる。

(黙想)

  • 過越の食事をする家を探すことについては、イエスの指示があるが、不思議な指示である。明確にあの家とは言わない。
  • 18節。食事の場面でイエスは裏切り者の存在を告げる。なぜ告げるのか。裏切りをやめさせるためか。それとも裏切りが具体的な出来事となることへの備えか。イエスは暗黙の内に自分が捕らえられる可能性を告げたと言える。他の弟子たちにイエスが捕らえられる可能性を告げ、心の備えをさせたのか。イエスの真意は分からない。私たちが何をしようと、神はご存じであることを教えられる。
  • 19節。弟子たちは「まさかわたしのことでは」と自分が裏切り者ではないかと心配した。ユダをのぞく弟子たちは、イエスを裏切る計画は持っていない。
  • すでにイエスは弟子たちに三度御自分の死と復活を語っている。そして今、イエスを裏切る者がいるとのこと。不吉な予感を弟子たちは強く感じている。
  • 何か事が起こればどう行動するのか分からないのが人間である。実際、この後、イエスが捕らえられるとき、弟子たちはイエスを見捨てて逃げている。弟子たちは何か事が起きたとき、自分が裏切る行動をするかも知れないと考え、「まさかわたしのことでは」と言ったと思われる。弟子たちは心を痛めたとある。自分が裏切る可能性のあることを知っての心の痛みか。裏切るかも知れない者としてイエスに見られたことに心を痛めたのか。
  • 20節。イエスは裏切り者を明らかにする。「わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ」。弟子たちにはユダが裏切り者であることが明らかになった。ユダはこの時点でこの場を去ったと思われる。
  • 21節でイエスは、「人の子は、聖書に書いている通りに、去って行く」と語る。イエスは自分の死を語っている。イエスは自分の死を覚悟している。すでにイエスは弟子たちに三度御自分の死と復活を語っている。弟子たちはイエスの死の時が近づいていると感じただろう。
  • 22節で、「人の子を裏切る者は不幸だ」とイエスは語る。生まれなかった方がよかった。でも実際には生まれイエスを裏切ることとなる。マルコはユダのその後を語らないが、マタイは、イエスが有罪となったことを知って悔やみ、首を吊って死んでいる。首を吊って死ぬくらいなら生まれない方がよかったと言えるのか。それともイエスを裏切った罪が最後の審判で裁かれるので、生まれなかった方がよかったということなのか。いずれにせよ、首を吊って死ぬという生涯は、悲しいものである。
  • イエスが十字架で死ぬことは神により前もって定められていた。この計画の実現のために神はユダにイエスを裏切らせたのではないか。神はユダをイエスを裏切るように仕向けた。だから裏切りに関してユダの責任はないと考える人もいる。しかしユダは自分の自由な行動としてイエスを裏切ることを選んだと考える。
  • クリスチャンも何か事が起きればイエスを裏切るような、神を裏切るような行動をする可能性を持つ。人間としての弱さと言えるし、自己保身の思いがこびりついていると言えるかも知れない。弱さを抱えて生きるしかないが、普段の生き方で、小さなことにおいて神に忠実に生きることを積み重ね、神への信頼心を育てることが大切と思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>イエスはユダが裏切ることを知っていた。神の目に隠されたものはない。神に隠れて何かをすることはできない。神はすべてをご存じである。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>日常生活の中で、神を信頼する歩みを積み重ねること。小さなことに忠実な者は大事にも忠実である。
  • <教え>神は私たちのことをすべてご存じである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日も聖書を読むことができ感謝します。今日の聖書では、イエス様は弟子たちの中に裏切る者がいることを語られました。そして弟子たちは「まさかわたしのことでは」と心を痛めたとあります。
  • 私たちは心の弱い者です。何かあれば思わぬ行動するものです。イエス様を裏切ることをしかねないのが私たちです。イエス様は「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16:10)と教えられました。小さなことに忠実に行動できるように導いてください。そして大きなことにも忠実であることができるように導いてください。
  • またイエス様はユダの裏切りをご存じでした。あなたの前に私たちのすべてが明らかです。それは私たちの悪しき隠れた思いが明らかなだけではなく、私たちの弱い心、貧しい心、悲しむ心、崩れそうになる心もあなたはご存じであるということですね。
  • 祈りの生活の中で、色々と感じるところがあります。今日はその思いをあなたに伝えたいと思いました。あなたはすでにご存じだと思いますが、自分の口ではっきり伝えたいと思いました。
☆与えられた導き
  • 祈りの生活で感じたことを神に伝える。