マルコ福音書 11章1~11節 死に向かって生きる

2022年9月6日

(内容)

  • イエスは弟子たちにろばを引いてこさせ、ロバに乗ってエルサレムに向かう。群衆はイエスをメシアを迎え入れるかのように歓迎した。

(黙想)

  • イエスはエルサレムに入るのになぜロバに乗ることにしたのか。ゼカリヤ書の言葉を無視するわけにはいかない。

ゼカリヤ書 9:9
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。

ゼカリヤ書 9:10
わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。

  • イエスはエルサレムで死を遂げることを覚悟していた。自分の命を多くの人の身代金として献げるつもりでいた。イエスはなぜ、ロバに乗ってエルサレムに入ったのか。ゼカリヤ書は王がロバに乗ってエルサレムに来ることを告げている。その王は諸国に平和をもたらし、その支配は地の果てにまで及ぶ。これはメシア的な王である。イエスはメシアとして、ゼカリヤ書の言葉に基づき行動し、メシア到来の預言の実現を身をもって示したのではないか。
  • あるいは詩篇の言葉の引用もここにはある。人々は王を歓迎し、祝福する。

詩編 118:26
祝福あれ、主の御名によって来る人に。わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。

  • マルコはイエスがメシアとしてエルサレムに来て、メシアとして十字架で死に、その務めを果たすことを語る。イエスはなぜロバに乗ったのか。自分がメシアであることを示すためにロバに乗ったと思う。気まぐれでロバに乗るはずはない。ロバに乗るのは、メシアのしるしである。
  • イエスは病人を癒やし、悪霊を追い出し、神の福音を伝えた。ロバに乗るのも、ご自分がメシアであることを示す行動であった。
  • イエスは十字架の死までメシアとしての歩みをした。十字架の死に至るまで神に従順に歩まれた。
  • 過越祭が近く、過越祭のためにエルサレムに向かう群衆が沢山おり、彼らはロバに乗っているイエスを見て、王に対する敬意を払った。イエスがメシアであることを期待して自分の服を道に敷いたのかも知れない。
  • この日、エルサレムに着いたのは夕方近かった。イエスは神殿の境内に入り様子を見た後、弟子たちを連れてベタニヤ村に帰った。

(聖書)

☆神はいかなる方か。
  • <御子>イエスは、メシアとして行動する。ここではロバに乗ってエルサレムに行く。それはメシアを預言する聖句に基づく行動である。
  • <御子>イエスは十字架に向かって歩む。十字架の死に至るまで、使命に生きる。父なる神に従順に歩む。
☆神が私たちに求める生き方
  • <模範>イエスが死に至るまで神に従順に歩まれたことは模範である。メシアとして、ゼカリヤ書の預言に合わせて行動した。私たちも死に至るまで、信仰者に与えられている希望を抱いて歩みたい。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、主イエスは十字架の死を目指して歩んでおられます。私たちも自分の死に向かって生きていると言えます。特に老いた者は、自分の死を意識します。いつ死を迎えてもおかしくない年齢に私も達しました。
  • そして信仰者らしく、神の国の希望をもって、最後の日まで歩んでいきたいと願います。最近、讃美歌の歌詞で御国を待ち望む思いを表した言葉が目につくようになりました。それで讃美歌はどのような言葉で希望を表現しているのか、チェックしてみたいと思いました。時間をかけて、チェックし、御国を待ち望む信仰者の心に触れたいと思いました。
☆与えられた導き
  • 讃美歌をチェックする