マルコ福音書 6章1~6節 不信仰から信仰へ

2022年2月14日

(内容)

  • イエスは故郷に帰られた。安息日に会堂で教えられた。人々はイエスの話しを聞いて驚いたが、イエスにつまづいた。その不信仰にイエスは驚いた。

(黙想)

  • 1~2節。イエスは故郷に帰り、安息日に会堂で教えた。彼らはイエスの教えに驚いた。すでに、人々はイエスが律法学者のようではなく、権威ある者として教えられたことに驚いていた(1:22)。またイエスが悪霊を追い出したとき、権威ある新しい教えだと驚いている(1:27)。またイエスが行う奇跡についても人々は驚いている。
  • 2~3節。故郷の人たちは、イエスが大工であり、マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟であることを知っていた。イエスの姉妹は、自分たちと同じ場所に住んでいる。そう言ってイエスにつまずいたとある。
  • イエスは身近な存在だった。そんな身近な存在が、自分たちとは違う存在、何か大いなる存在であると認めることはできなかった。イエスの教え・知恵、イエスが行った奇跡について結局目をつぶったのである。聞かなかった、見なかったことにした。
  • 4節。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。イエスは預言者たちもまた故郷や家族に敬われなかったと語る。
  • なぜ人々はイエスにつまずき、また預言者は敬われなかったのか。思うに一種の妬みがあるのかも知れない。律法学者やファリサイ派の人々もイエスにつまずいた。彼らは宗教の権威者としてイエスをライバル視し、律法に違反しているとイエスを批判した。人は自分よりすぐれた者を認めることに抵抗を感じるのではないか。つまりそこにはプライドがある。
  • 真理とプライドの戦いがあるのかも知れない。プライドがからむとだれもが素直に真理を認めるわけではない。
  • 5節。故郷では、イエスは、ごくわずかの病人を除いて、何も奇跡を行うことができなかったとある。
  • イエスが行う奇跡は、苦しむ者を救う意味もあるが、人々を信仰に招く意味、目的もある。だから信仰のない者の間では奇跡は起きなかった。
  • 6節。イエスは人々の不信仰に驚いたとある。イエスは人々を信仰に招いた。しかし人々は拒んだ。人々はイエスの教えに驚いた。イエスがどこでこのような知恵、教えを身につけたのか不思議がった。しかしイエスを信じることはしなかった。
  • イエスは何を教えたのか。神の国の福音を宣べ伝えたのか。4章では具体的に種を蒔く人のたとえを語っている(4:1以下)。種を蒔く人は御言葉の種を蒔いている(4:14)。これを聞いて受け入れる人は豊かに実を結ぶ。そして聞く耳のある人は聞きなさいとも語る(4:23)。基本的にイエスは神の国を宣べ伝えた。
  • 一般的に言って、新しいことを聞いたとき、それを信じることに人々は抵抗を感じる。それは自分に変革を迫るからであり、そこに抵抗を感じるのである。第二に、だれが教えるかによって信じることに抵抗を感じる。自分が信じるからには、教える人は自分より遙かにすぐれた人でなければならない。自分と同じような人の語ることを信じるには抵抗がある。プライドが信じることを妨げる。
  • そしてイエスは故郷の人々の不信仰に驚く。人は罪深く、そう簡単に素直に信じない者であることをイエスは知らなかったのか。そんなことはないだろう。でもなぜ、人々の不信仰に驚くのか。故郷の人々だから信じてくれると思ったのか。あまりイエスの心理は追求しない方が良い。迷宮に入る。要は、故郷の人々が信じなかったことを強調している。
  • 人々はイエスの教えを聞き、イエスのなさった奇跡に驚いた。ここで注目すべきは、人々がこの驚くべき体験をどう受けとめるかである。それが自分の歩みの転換をもたらす可能性があるとき、人は二つの内どちらかの歩みをする。一つはその可能性を追求する。イエスに対してさらに関心を持つ。今ひとつは、自分のこれまでの歩みを肯定し、その驚きの体験を無視する。
  • これは我々も身近に体験することがある。たとえば同じ教会の兄弟の信仰が目覚ましく深まったと知ったとき。その理由を聞き、自分もその信仰の成長にあずかりたいと考えるのか、無視して自分は自分と何事もなかったように振る舞うのか。それではせっかくの神の恵みの機会を失うことになる。人はプライドがあり、謙遜に学び成長したいとは思わず、無視することが多い。自分は自分なりに努力していると言って。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>イエスの教えに人々は驚き、イエスのなさった奇跡に人々は驚いた。イエスは人々を神の国(信仰)に招く方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>イエスを信じ受け入れること
  • <警告>神の招きをプライドによって拒むこと

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、イエス様は人々の不信仰に驚いたとあります。これは他人事ではありません。私もナザレの人と同じように不信仰に陥りかねない人間だからです。あらためて私たちは信じるように招かれていることを思い出します。イエスの復活なんて信じられるわけがない、イエスの再臨なんて信じられない、罪の支配から自由になれるなんて信じられない。そういう信じられない私たちが信じるように招かれています。信じますと応答していきたいと思います。信じられるようにしてくださいではなく、信じますと告白し、信じたときに見える祝福へ目を向けることができるようにしてください。信じたときにどうなるのかという不安を捨てることができるように。不安があるから信じたくないというプライドを捨てることができるようにしてください。
  • あなたは生きて働かれる方であるとかつて教えられました。そのことを信じてきました。私たちが時に真剣に祈る課題が与えられ、祈っているとき、ふとあなたは本当に生きて働かれる方なのかと不安に、いや不信仰に誘われます。天の父なる神さま、あなたを信じます。あなたが生きて働かれる神であると信じます。信じて、今祈っている祈りの課題を祈ります。
☆与えられた導き
  • 祈りの課題を信じて祈る。