マタイ福音書 1章18~25節 それでもあなたと共にいる

2021年12月1日

(内容)

  • マリアの婚約者ヨセフはマリアが身ごもっていると知り戸惑った。しかし天使は夢の中でマリアの子は聖霊によって身ごもったのであり、マリアを受け入れるように語った。生まれてくる子はイスラエルの民を罪から救う者であると天使は告げた。

(黙想)

  • マリアの妊娠は聖霊によるものであることが明らかになったとある。まずマリアが妊娠したことはマリアの体を見ると分かる。彼女はヨセフと婚約中でありながら、身ごもったのである。
  • マリアが身ごもった次第をマタイは語らない。神はある女性に何も知らせずに聖霊によって身ごもらせることをするだろうか。自分が突然妊娠したことを知る女性は驚くだろう。しかも理由が思い当たらないなら、大いに戸惑うにちがいない。これは女性に対して残酷なことである。マリアは自分が妊娠したことについては、了解していたと考えてよい。ルカが語るようにマリアは「お言葉どおりこの身に成りますように」と語り、妊娠を受け入れていたと思われる。
  • やがてマリアが妊娠していることは周囲の人に明らかになった。ヨセフも知ることとなった。18節には「明らかになった」とあるが、何が明らかになったのか。マリアが妊娠していることは明らかになっている。
  • しかし聖霊によって身ごもったことが、とある。聖霊により妊娠したことが明らかになったというのか。妊娠した女性を見て、聖霊によって身ごもったのか、男性との関係によって身ごもったのかの区別はできない。18節の「明らかになった」はマリアの妊娠の事実が明らかになったと理解すべきだろう。マタイはそれが聖霊による妊娠と説明しているが。
  • 他方、ヨセフはどう受けとめたのか。3通りの理解ができる。

(1)マリアはヨセフに何の説明もしていないので、ヨセフは驚き、戸惑いを覚えた。
(2)マリアはヨセフに自分の妊娠は聖霊によると説明し、ヨセフはそれを信じた。
(3)マリアはヨセフに自分の妊娠は聖霊によると説明したが、戸惑いを覚えた。

  • もしマリアが自分は聖霊により身ごもったとヨセフに説明し、ヨセフがマリアの説明を信じたのなら、マリアの妊娠は神の働きであるので、マリアとの婚約を解消することにはためらいを感じるのではないか。
  • ヨセフが婚約を解消しようとしたということは、(1)または(3)であるが、20節で天使がヨセフにマリアの妊娠が聖霊によると説明したことは(1)を予想させる。
  • ヨセフは自分と婚約をしているマリアが妊娠したことを知った。自分の子ではないことは明らかである。ヨセフとマリアは話し合ったのかどうか。わからない。ヨセフは、マリアが婚約中でありながら、身ごもったことを公にしないようにした。マリアへの配慮である。婚約中でありながら、婚約者以外の男性との関係で身ごもったとするならそれは姦淫を犯したことにある。
  • ひそかに縁を切る、つまり婚約がなかったことにすれば、マリアは姦淫を犯したことにはならないですむ。もちろんマリアの周囲にいる人たちは、独身の彼女が誰の子を身ごもったのかと考えたりはするだろうが、マリアの妊娠の事実は限られた人しか知らないことになる。
  • マリアの妊娠を知り、ヨセフの心は傷ついただろう。でも彼はマリアを恨むことはなく、彼なりにマリアに配慮し、婚約を解消しようとした。そんなヨセフに夢の中で天使が現れた。そしてマリアは聖霊により身ごもったこと、生まれてくる子は、イスラエルの民を罪から救う者であること、そしてマリアを妻として受け入れるよう語った。
  • マルコやヨハネは、イエスの誕生の次第を語らない。マタイはなぜ語るのか。22節で預言の実現したことを示すためと書かれている。2章ではイエスの誕生に関わる事柄は預言の成就であると語っている。マタイは預言の成就という点に力を入れている。イエスに至る系図も紹介した。そして誕生の物語を書いている。
  • 神は婚約中の女性に救い主を宿らせ、生まれてくる子が両親のもとで育てられることを計画した。ヨセフはマリアの妊娠に驚き、自分なりの対処をしようとした。マタイはそこでヨセフが正しい人であると書き、イエスはこの人のもとで育つことを語っている。そして天使がヨセフにマリアの妊娠の次第を語る。神の働きは用意周到であると感じる。
  • 生まれてくる子は自分の民を罪から救うとある。救い主の到来が預言されているということは、旧約聖書にイスラエルの罪が語られ、罪に対する解決が待たれていることも旧約に語られていることになる。そしていよいよ預言の実現の時が来たのである。この救い主については、インマヌエルと呼ばれ、これは神は我々と共におられるとの意味であると天使は告げた。
  • 旧約聖書でイスラエルの人々は、神は共におられるというのに、あなたは必要ない、我々は自分で自分の道を選ぶと言って神と共に歩むことを拒否してきた。神が共におられるということは本来福音であるが、罪を犯す者にとっては、神の存在は余計なものとなる。神を余計なものとする、それが罪である。それでもなお神はイスラエルの民を拒まず、共にいると約束しておられる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>インマヌエルと呼ばれる方。罪から人間を救う方
  • <御父>信じる者たちと共におられる方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>イエス・キリストを信じること。
  • <勧め>罪から救われるとはどういうことかをきちんと知る。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日の聖書を読んで思わされたことは「それでもあなたは私たちと共にいてくださる」ということです。イスラエルの民の歴史は罪の歴史でした。あなたは、「わたしはあなたと共にいる」といつもイスラエルの民に語りました。しかし彼らは、あなたのことを余計な存在と考え、あなたなしに自分の好きなように歩みました。彼らは決して祝福された歩みをすることができませんでした。それどころかみじめな生活をしました。外国に捕虜となって生活するという捕囚を経験もしました。
  • そして預言者たちは、救い主の到来を語るようになりました。イザヤの預言、エレミヤの預言、エゼキエルの預言。イザヤは53章で十字架のイエスを預言するかのようなメッセージを書き残しました。エレミヤは、私たちに新しい心が与えられることを伝えました。エゼキエルも同じです。
  • あなたは「それでもあなたと共にいる」と語りかけてくださいます。私たちの歩みは完全ではありません。罪も犯しますし、欠けのある歩みです。しかし「あなたと共にいる」とおっしゃってくださることを感謝します。あなたと共に歩む歩みを祝福してくださると信じます。今日も御言葉に聞き、祈り、一日を過ごしたいと思います。祝福してください。
☆与えられた導き
  • 共にいてくださる神を賛美し、感謝する