マルコ福音書 3章13~19節 使徒を選ぶ

2021年9月7日

(内容)

  • イエスは12人の使徒を選んだ。2章で徴税人のレビを弟子に選んだことが書かれているが、レビの名はなく、代わりにマタイの名がある。マタイは徴税人と言われる(マタイ9:9)。マタイはレビと同一人物なのだろう。

(黙想)

  • イエスは山に登った。イエスの後に従う人たちがそれなりにいたと思う。山と言っても日本の山とは違う。小高い丘であり、人々はイエスについて行ったと思われる。
  • そこでイエスは、「これはと思う人々を呼び寄せた」。この人々はイエスのもとに来た。イエスはどんな基準で12人を選んだのかは分からない。マルコ福音書では、イエスはすでに4人の漁師、一人の徴税人に自分について来るように呼びかけている。この人たちは、12人の中に含まれている。
  • イエスはなぜ、12人を選んだのか。それは福音を宣べ伝えるためである。歴史の中で、いつの時代でも福音は宣べ伝えられる。宣べ伝える人が必要である。
  • 12人の者たちは、福音宣教者としてふさわしい者であったのか。イエスが選んだとは言え、たとえばイエスが捕らえられた時彼らはイエスを見捨てて逃げている。イエスの昇天後、聖霊を受け、彼らは大胆に福音を、キリストを宣べ伝え始めた。福音宣教者としてのふさわしさを人は持つことができない。このふさわしさは、神から与えられるものであり、人間は自分の内にふさわしさを持たない。人には個性があり、この個性が用いられることはある。個性はある意味、賜物であり、自分のものとして人は誇ることができない。自分には選ばれる理由があったなどと考えてはならない。恵みの選びである。
  • 山で12人を使徒に任命したことが聖書に書かれているが、この時イエスが使徒たちに何を語ったのかは書かれていない。使徒に任命した事実だけが書かれている。やがてイエスは捕らえられ、十字架で処刑されて死に、死ぬということを使徒たちは知らない。使徒たちはまずは、イエスのそばにいることが求められた。
  • マルコ6章でイエスは12人を派遣している。12人は「悔い改めさせるために宣教した」とある。これは宣教の訓練と言えるかも知れない。復活後イエスは、天に昇る直前、弟子たちに命じている。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」。
  • イエスが選ばれるのは使徒たちだけなのか。私たちはイエスを信じる者へと選ばれたと言える。イエス・キリストを信じる決断を私たちはするが、その決断も、神さまの導きの中でなされる決断であり、信仰は神の賜物である。人は自分でこの信仰を選んだと考え、またこの信仰から離れていく人もいる。「自分はキリストに捕らえられている」(フィリピ3:12)と語る人が少なくない。また福音宣教者に選ばれることがある。さらに教会の中での働きに選ばれることもある。
  • 私たちは神に召されて生きる。それが信仰。自分の召しに誠実に応じていくことが大切。召されているという意識がない時は、召されていることを考えることが必要だろう。
  • 聖書が伝える信仰は、神の呼びかけに答えることにある。アブラハムもモーセも、神の呼びかけに応えて生きた。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>イエスは使徒を任命する方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>信仰とは、神の呼びかけ、召しに応答して生きること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。イエス様は12人の使徒を任命しました。任命に答える、これが信仰なのですね。後にユダはイエス様を裏切りました。いかに生きるか、それは召された者の課題となりますね。
  • 私は信仰者へと召され、キリストを宣べ伝える者と召され教会に仕える者となりました。その召しに応えてきました。そして今、教会に仕える召しから解かれました。今は一人の信仰者として歩んでいます。
  • 今日の聖書箇所を通して、天の父よ、あなたは私に何を語りかけようとしておられるのでしょうか。あなたの呼びかけを聞きたい、そんな思いがあります。天の父なる神さま、あなたの呼びかけを聞かせてください。耳をすませます。
☆与えられた導き
  • 祈りの中で耳をすませて神の呼びかけを聞く。