第二コリント 7章13~16節 パウロの牧会者としての愛

2021年6月22日

(内容)

  • パウロはテトスの報告を受け、喜んだ。そしてコリント教会を信頼できることを喜んでいると語る。パウロのコリント教会の人たちへの愛が伝わってくる。

(黙想)

  • パウロはテトスのことを「信仰を共にするまことの子テトス」と呼ぶ。そのテトスをコリント教会に遣わした。パウロはテトスの働きにも期待したと思う。そしてテトスはコリント教会がパウロを慕っているとの朗報をもたらした。
  • 13節。パウロはテトスが喜んでいるのを見て、喜んだという。テトスは涙の手紙を読んだコリント教会がどのような反応を示すか、不安であったと思う。テトス自身パウロのことをコリント教会に語ったであろう。結果としてコリント教会がパウロを慕ったので、テトスは自分が使命を果たせたと喜んだ。そしてパウロは、コリント教会の人たちがテトスを元気づけたので私は喜んだと喜びの理由を語る。コリント教会へのパウロの思いが出ている。また子が喜ぶのを見て親が喜ぶようにテトスが喜ぶのを見てパウロは喜んでいると思う。
  • 常に喜びなさいとパウロは勧める。パウロは喜びに生きている人だと思う。
  • 14節。パウロはテトスに対してコリント教会のことを誇ったという。コリント教会の人たちがパウロを慕い、パウロに対して熱心であったことをテトスは報告した。コリント教会はキリストの教会であり、テトスに対してコリント教会を誇ったことは間違っていなかったとパウロは喜ぶ。
  • さらに「テトスの前で誇ったことも真実になった」と語り、パウロの喜ぶ様が伝わってくる。何よりもパウロはコリント教会を信頼している。コリント教会には信仰上の問題があったし、何よりもパウロに対して不信感を抱いた。パウロの使徒性に疑問を持ったし、パウロが訪問したとき、パウロを悲しみの内に去らせたのである。そのようなコリント教会を信頼するというのは、人間の常識からは考えにくい。しかしパウロは神のような愛をコリント教会に抱いている。人間の欠けを受け入れ、なお愛する神の愛をパウロはコリント教会に対して抱いている。これはとても教えられる。牧会者の持つべき愛。
  • 15~16節。テトスもコリント教会に対して信頼していると伝える。コリント教会がパウロを批判したことはすっかり忘れて、コリント教会への信頼を伝えている。
  • パウロがコリント教会に対して抱く愛は、神の愛のようである。コリント教会が悔い改めたのでもはやコリント教会の罪を思わないし、コリント教会を信頼しているという。口先だけの信頼ではない。広い愛からの信頼である。相手が信頼に足るから信頼するのではない。信頼に足りなくても信頼する。期待である。
  • きっと神さまも、私に対して、このような期待を抱いてくださっていると思うとうれしくなる。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <模範>パウロがコリント教会に対して抱く広い愛。信頼している思いを積極的に伝えていること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書を通して、パウロの大きな愛、牧会者の愛を教えられ感謝します。ここでは愛が「信頼」という形で表現されていますが、相手に対する無条件の信頼といえると思います。
  • 人間の世界では、相手に対して無条件に信頼を寄せることはありません。しかし神さまは私たちに対して、そのような信頼、期待を寄せてくださる方であると教えられました。あなたの期待に応えたいと思いました。
  • 私は今教会の務めからは退き、公的な務めはありません。個人的にインターネットを利用して、ブログ、ディボーションを発信しています。これらのささやかな働きをあなたは期待してくださっているとあなたから言われているように思いました。感謝します。
  • これからも続けていきますので、どうぞ導いてください。今日もブログを書くことですが、導いてください。
☆与えられた導き
  • 導きを祈ってブログを書く