第二コリント 7章5~7節 気落ちした者を力づける神

2021年6月14日

(内容)

  • エフェソからマケドニアに来たパウロのもとにテトスが戻ってきてコリント教会の様子を伝えた。それはよい知らせであり、パウロは慰められた。

(黙想)

  • 第二次伝道旅行でパウロはコリントで一年半伝道し(使徒18:11)、教会を設立した。その後パウロはコリントを去った。そして第三次伝道旅行でパウロはエフェソに来た。コリント教会の様子を聞いてすぐに手紙を書いた(第一の手紙)。またコリント教会のパウロに対する変化を知り、パウロはコリント教会を訪問したが、教会との関係はよくならなかった。エフェソに戻ったパウロはパウロは涙ながらに手紙を書いて送り(2:4)、またテトスをコリント教会に送った。
  • テトスが戻ってくるのを待ち遠しく思っていたパウロはエフェソからトロアス、そしてマケドニアに来た。するとテトスが戻ってきて朗報をもたらした。パウロは慰めを受けた。
  • マケドニアに来たとき、パウロは安らぎはなく、外には戦い、内には恐れがあったと語る。外に向かって、つまり伝道をすれば伝道は邪魔され、時に迫害され、戦いがいつもある。教会を設立しても、パウロはずっとそこに留まるわけではなく、さらなる伝道の旅を続ける。彼が設立した教会に別の教師がやってきて教会を指導するが、パウロを非難する教師もいて、パウロと教会との関係がおかしくなることもあった。伝道者の苦労は絶えない。
  • かつて私も教会の中でつらい思いをしたことがあった。自分でもどうしていいか分からなかった。あの時、自分は神さまにどのように向き合っていたのだろうか。ただひたすらに神に祈っていたとの記憶はない。むしろ気持ちは落ち込んでいった。神さまは私に逃れの道を用意してくださった。神さまの導きと感謝したことがある。
  • 「気落ちした者を力づけてくださる神は」とパウロは語るが、本当にそうだと思う。自分の頭でどうしたらいいのか考え、思い悩む癖のある僕だったし、今もその傾向がないわけではない。あらためて自分の気持ちを伝えるだけの祈りをしてよいのではないかと思う。祈りは祈願なので解決を求めて祈るのは自然である。解決を求めるとそれがいつ解決されるのが分からないこともあるし、解決に見通しがないと、祈ることにストレスを覚えることもある。気持ちを伝える祈り、それもよいのではないか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <御父>気落ちしている者を力づけてくださる方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>力づけてくださる神に導き、助けを求める

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、あなたが、「気落ちしている者を力づけてくださる方」であると聖書から教えられました。確かにだいぶ以前のことになりますが、とてもつらい状態の中にあったとき、あなたが逃れの道を用意してくださったことがあり、私は救われた思いをしたことがあります。
  • 今日聖書を読んで、あらためて、自分の気持ちを伝えるだけの祈りをしてみたいと思いました。それが祈りで大切なのではないかと思います。祈りは祈願でもあるので、願いがかなえられることを願いますが、かなえられることを願うと、それがなかなか実現しないとストレスにもなります。事柄にもよりますが、解決は心の中で願いながらも、祈りの目的としては自分の気持ちを伝えることに目的をおいて祈るのもよいのではないかと思いました。気持ちを伝え、あとはゆだねる祈りをしたいと思いました。
☆与えられた導き
  • 伝道のこと、政治のこと、家族のことなど、気持ちを伝える祈りをする。