第二コリント 4章1~2節 落胆しません

2021年7月20日

(内容)

  • パウロは自分が文字ではなく霊に仕える務めを神から与えられたと書き、自分が使徒であるかどうかの判断は、コリント教会の人たちの良心にゆだねるとする。

(黙想)

  • 1節。「こういうわけで」。パウロは文字ではなく霊に仕える務めを神から与えられたと書いた。霊に仕える務めは文字に仕える務めにはるかにまさっているとも書いた。文字に仕える者は律法に仕える者であり、律法には覆いがかかっているとした。つまり律法にはそれを守る力を守ろうとする者に与えることができないという限界がある。しかし霊に仕える務めにはそのような限界はない。主の霊が働くからであり、主の霊の働きを受ける者は、律法を全うし、主と同じ姿に変えられていく。パウロはこのように自分は霊に仕える務めを与えられていると書いた。
  • ここで驚くのは、パウロが自分の務めを文字に仕える務めではなく霊に仕える務めであると考えたことである。パウロは復活のキリストに出会い、キリストを宣べ伝える務めを与えられた。でもキリストを宣べ伝えるとはどういうことか。キリストは神から遣わされた救い主、メシアであり、十字架で死んだが神は彼を復活させたと宣べ伝えることか。ただ出来事だけを伝えても意味がない。キリストの死と復活を信じることにはどのような意味・意義があるのか、それを書き残しているのはパウロである。パウロは身を以てキリストによる救いを体験している。それを書き残している。それで我々はキリストによる救いが何であるかを知ることができる。
  • 神が人間を救う救いは、人間が考え出した人間を救う働きとは一線を画する。神による救いは人間の思いを越えるものである。ロマ書でパウロはそれを書いている。この箇所ではその救いを宣べ伝える霊の務めに自分は仕えていると書いてきた。
  • この務めは人間が考え出したような務めではなく、神から与えられたものである。そしてクリスチャンを迫害していたパウロを神は憐れみをもってキリストを宣べ伝える者とした。パウロにとって霊に仕える務めは神から与えらえたものであり、神から与えられたもであるゆえに、何が起きても「落胆しません」と書く。いいかえると落胆してしまう状況にパウロは何度も直面している。しかし落胆しないで祈り、神に励まされて務めを果たしているのだろう。
  • 2節。卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすると自分の態度を語る。パウロは自分の状況を良くするために策を弄しない。あくまでも神の前に生きる姿勢を貫く。そして自分が使徒であるかどうかの判断をコリント教会の人たちの良心にゆだねると書く。神への信頼、神の導きを信じる気持ちが表れている。
  • 自分が神さまに遣わされた福音宣教者であるかどうか。それはどこの神学校を卒業したかで決まることではない。教団の教師試験に合格したことで決まることではない。これらは福音宣教者であることを示す推薦状になるかも知れない。大切なのは、今、キリストをどのように宣べ伝えているのか、である。文字に仕える仕方でキリストを宣べ伝えているとすれば、その働きには限界がある。その働きには覆いがかかっているのである。霊に仕える仕方で仕えることが大切である。
  • この務めは神から与えられるので、落胆をしないのである。福音宣教の働きをしていて落胆することがないなら、本当に福音を宣べ伝えているのか、自己吟味が必要だろう。また落胆してしまうなら、自分は神さまから務めを与えられているのかどうか、考える必要があるだろう。神から与えられているなら、何があっても、務めを続けることができる。神が与えられた務めが失望に終わることはない。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は私たちに務めを与える方である。務めを全うさせてくださる方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>落胆しないで、務めに励むこと。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日はパウロから励まされました。自分の務めが神から与えられているなら、落胆しないとパウロは書いています。神さまから務めをゆだねられているという考えを失い、心のどこかで、自分がこの務めを果たしていると考えると、物事がうまく行かないと落胆します。自分は神さまに務めをゆだねられていると考えるなら、自分はいつも神さまの導きの中にあると考え、時に応じてどうするのか、神さまの導きを求め続けていけばよいですね。仕える者に大切なことは忠実であることと教えられます。
  • 最近の私は少し落胆する思いに導かれました。でもこの箇所を読んで落胆しません、とのパウロの言葉に励ましと慰めを受ける思いです。福音宣教の責任者は神さまであり、神さまが作戦をもって宣教を行われます。私たちは一つの場所で宣教の戦いをしているに過ぎません。自分に与えられた場で忠実であればよいですね。
  • イエス・キリストによる救いは、罪の支配からの救いであり、罪に対する勝利であり、私たちに罪との戦いを勧めるものであることを今後も伝えていきたいと思います。
☆与えられた導き
  • 落胆しないで、働きを続けていくこと。