第一コリント 13章8節 愛は滅びない

2020年2月3日

(内容)

  • 預言や異言、知識は廃れるが愛は滅びない。

(黙想)

  • 愛は滅びないとはどういうことか。パウロは何を思っているのか。
  • コリント教会には色々な問題があった。教会には指導者をめぐって対立、争いがあった。また霊的な賜物について、自分の賜物を誇る者がいて賜物を受けていない者を軽んじることがあったのではないか。偶像にささげられた肉を食べる問題で、食べてはいけないのではないかと悩む信仰の弱い人への思いやりがない教会の実情も語られていた。教会はキリストの体であり、キリスト者は一つとなるべきなのに対立、争い、おごりとさげすみがあった。愛がなかった。それでパウロは、13章で愛を語っている。1~3節で愛は何よりも尊いものであることが語られ、4~7節で、愛は何か具体的に語られた。そして8節で愛は滅びないと語られる。
  • 愛は一時的なものではないという。それだけ愛は尊いものということになる。永遠的な価値のあるものを追い求めようと勧めているのか。それとも「愛は滅びない」と語ることで、さらなる真理を語ろうとしているのか。
  • イエスは「富は天に積みなさい」と教えたことがある。地上の宝は盗まれたりさびたり、虫が食ったりするので、天に宝を積みなさいと教えた。天の宝は死後も私たちと共にあるということになる。12節には「そのときには、顔と顔とを合わせてみることになる」と語り、終末の時、神の顔を見ることになると語っている。パウロは終末まで視野を広げている。
  • 愛はただ尊いもの、価値あるものというだけではない。愛は滅びない!そういうものだと語っている。この地上で人々が求めるものは、物であればいつかは壊れる。目に見えない名誉も人に忘れ去られる。富もこの地上でしか所有できない。しかし愛は永遠であるという。私たちは視野を広げて、永遠に目を向けることが大切なのか。大切である。キリスト者なのだから、神の国を仰ぎつつ生きることは大切だ。この世のことしか考えないのは、間違っている。
  • コリントの人たちは異言の賜物を誇ったり、預言を語ることができることを誇った。でもその誇りは神の国に持っていくことはできない。誇るならむしろ「愛」を誇ることを教えているのか。
  • 愛は永遠という時、まず考えるべきは、私たちに対する神の愛である。神の愛は、私たちが地上にいる時も地上の命を終えても、私たちに向けられている。愛は永遠であるから、このことを信じることができる。そして私たちが地上で隣人を愛した愛も、天に積んだ宝として神に覚えられている(ヘブル6:10)。愛は滅びない、永遠である、これは信ずべきこととなる。信じる信じないは人の自由である。しかし聖書は、愛は滅びないと告げる。愛は永遠である。愛すること、それが一番大事なのである。
  • では自分は愛をどう考えているのか。私に対する神の愛は、滅びることなく永遠であり、私が地上の命を終えても、なお私に向けられていると信じているのか。愛が滅びないなら、永遠なら、自分に対する神の愛も永遠である。

ローマ 5:8
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

ヨハネ一 4:9
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。

  • この神の愛を永遠の滅びない愛と受けとめるのか。神さまの愛が永遠であるなら、神に愛される私もまた永遠のものとされる。永遠の命を与えられるとは、このことを意味している。キリスト者は最後の裁きにおいて、神に見捨てられないのである。僕の心は、神さまの愛をどう受けとめているのだろうか。心は、神の愛が永遠であることを信じたいと思っている。いや信じている。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神の愛は、滅びることなく永遠である。私たちに対する神の愛は、永遠である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>愛は滅びない。愛は永遠である。
  • <教え>預言、知識は一時的なもので廃れる時がある。世にある多くのものは一時的で廃れる。
  • <教え>真に求め、追求する価値がある者は愛である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、愛は滅びないと教えられました。あなたの私への愛も永遠であり、私は生きるにも死ぬにも、あなたの御手の中にあると教えられ感謝します。あなたは御手をもって、私を御国に導いてくださると信じ感謝します。あなたが父なる神であり、私を愛してくださっていることを、少し思いめぐらしたいと思いました。導いてください。
☆与えられた導き
  • 神の愛を思いめぐらす。