第一コリント 1章4~9節

2020年8月25日

(内容)

  • 手紙の本題に入る前に、パウロはコリントの人たちに対する感謝を述べている。イエス・キリストを信じて、イエス・キリストとの交わりに入れられたと大切なことを告げる。

(黙想)

  • はっきり分かることは、コリント教会の人たちがイエス・キリストを信じるようになったこと、そして主の現れ(再臨)を待ち望むようになったこと。そしてパウロは、主の再臨の日まで主は彼らを守り、その日には、非のうちどころのない者にしてくださると語る。
  • コリントの人たちがあらゆる言葉、あらゆる知識でにおいて豊かにされているとあるが、これが何を意味しているのかよく分からない。また賜物において何一つ欠けたところがないと語ることも具体的にはよく分からない。
  • パウロは本文において、コリント教会のさまざまな問題点を語っていくので、言葉、知識において豊かで、賜物に欠けることがないというのは、実態に即していないような気がする。でもまず、コリント教会の人たちの信仰を認め、それから忠告、戒めを与えようとしているのだろうか。
  • キリストの現れを待ち望む、終末を待ち望む。私たちが終末を待ち望むのは、それが早く来ることを願うからではない。終末において何が起きるかを知っているので、現在の生き方が変えられるのである。現在の生き方が変えられ、終末を待ち望み、死を越える希望が与えられて生きることができる。終末を知らない人は結局、何のために生きるのかを知らない。
  • 第一テサロニケでは、終わりの日、私たちは全く聖なる者に変えられるとあり、だから今、聖なる者を目指して歩むのが神の御心であり、聖なる者として歩むことが勧められていた。
  • この手紙では、コリント教会の抱えている問題への忠告が多く語られる。その前提として、イエス・キリストとの交わりに入れられたと語っている。
  • 僕は信仰とは、キリストとの交わり、神との交わりに生きることであることは何度も語ってきたが、必ずしも理解されているとは思えない。だからこそ、伝えていかなければならない。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <御父>真実な方である。
  • <御子>いつの日か、この世界に現れる。再臨される。
  • <御子>終わりの日まで、私たちの歩みを支えてくださる。
  • <御子>終わりの日に、非のうちどころのない者にしてくださる。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>イエス・キリストとの交わりに生きること。
  • <教え>キリストを証しできることの大切さ。
  • <約束>終わりの日に非のうちどころのない者にされる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日もこうして聖書を読み、あなたとの交わりに生かされていることを感謝します。終わりの日に、私たちは非のうちどころのない者にされるというのは、驚くべき出来事、見物(みもの)だと思います。どんな風に自分が変えられるのか、分かりませんが大きな楽しみ、望みであると思います。死の床に就く時、終わりの日の出来事に希望をおくことができるようにと願います。
  • そのために終末に関わる聖句を一つ暗記することとします。どの句を暗記するのか検討することにします。
  • 父なる神さま、だんだんと終末を心から信じることができるようになっていることを感謝します。主の再臨は、救いの完成であり、クリスチャンの待ち望むべきものであることを思わされます。感謝します。
  • 昨日、ある方から電話をいただきました。共通の知人が危篤に近い状態で祈りの依頼を受けました。祈るだけでなく、祈りを葉書で送りたいと思いました。信仰者の希望を伝えたいと思いました。どうぞ導いてください。
☆与えられた導き
  • 暗記する終末に関わる聖句を選ぶ
  • Hさんに祈りを葉書に書いて送る

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暗記する聖句

コリント一 1:8
主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。

葉書が届き、電話があり、Hさんと最後の会話をすることができて感謝。