ヨハネ福音書21章20~25節 私に従いなさい

2020年5月1日

(内容)

  • ペトロは、自分が迫害を受けて死ぬことをイエスから告げられた。イエスの愛しておられた弟子はどうなるのか、とペトロは尋ねたが、イエスはそれはあなたには関係ないと告げられた。そしてイエスはペトロにあなたは私に従いなさいと言われた。

(黙想)

  • 信仰者は一人ひとりが、それぞれの仕方でイエスとの関わりに生きる者であることを知る。他の人はどうであれ、自分がイエスに従って生きることが大切である。他者の生き方を自分の生き方と比較する必要はない。イエスは、一人ひとりにその人らしく歩むことを求められる。
  • ヨハネ福音書を書いたのはこのイエスの愛された弟子であるとのコメントがなされる。そしてこの福音書に書かれたことが真実であることを「私たち」は知っているとの言葉が添えられている。聖書を神の言葉として読む者は、聖書が真理を語っていることを証しする者である。
  • さらにイエスのなさったことを本に書いたら、世界はその本を収めることができないという。イエスの事業を本に書こうとしたら、書き切れないという。誇張的な表現である。これは何を意味しているのだろうか。現実には、4つの福音書がイエスのなさったことを記録している。神さまは4つの福音書でよしとされたのである。この誇張的な表現は何を意味しているのか。
  • 歴史上有名な人の生涯を描いた本がある。大抵は一冊の本にまとめられる。100冊ほどの本にその生涯がまとめられた人は、ほとんどいないのではないか。その人のなした業績を書いた本をまとめても、1個の図書館で収容しきれないほどの本があるとは考えにくい。けれどキリスト教書店に行くとイエスについて書いてある本が次々と並べられている。出版されている。これからも出版され続けるだろう。イエス以外に、関連する本が時代を超えて出版され続ける人はほとんどいない。イエスという人物の特異性が分かる。言い換えるとイエスは全人類の救い主ということ。この誇張的な表現は、今の僕の心には響かないか。明確な意味が伝わってこないから。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <御子>「あなたは私に従いなさい」を命じる方。イエスは、一人ひとりにそれぞれの仕方で従うことを望んでおられる。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>「あなたは私に従いなさい」とのイエスの言葉を受けとめる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、ペトロは自分が将来迫害を受けることをイエス様から告げられました。そこでペトロはイエスに愛された弟子はどうなるのですかと尋ねました。すると「あなたには関係がない」とイエス様は答えました。他者が信仰者としてどのように歩むかは、あなたには関係がない、あなたは私に従いなさい、とイエス様は答えられました。大事なことは、一人ひとりがそれぞれの仕方でイエスに従うことと教えられました。イエス様は一人ひとりを、それぞれにふさわしい仕方で導かれるということですね。
  • 今新たに「私に従いなさい」とのイエスの言葉を聞きます。あなたは私に新しい道を備えて下さろうとしているのでしょうか。それとも今の歩みを続けなさいと励ましてくださっているのでしょうか。イエス様は私に何を求められているのでしょうか。
  • 今日のディボーションでヨハネ福音書は終わります。明日から聖書のどこをディボーションするか、考えています。どこを読むのが御心なのか、祈りたいと思います。またエフェソ書かコロサイ書か、と考えていますが、それぞれ通読してみたいと思います。
☆与えられた導き
  • 新たに従うべきことがあるなら示してくださいと祈る。
  • どこをディボーションしたらいいかも祈り求める。
  • エフェソ書、コロサイ書を通読する。

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コロサイ書をディボーションすることとする。