ヨハネ福音書18章1~11節

2020年3月24日

(内容)

  • イエスはキドロンの谷の向こうの園に行かれた。イエスは捕らえられるが、弟子たちを去らせるように告げる。イエスを守ろうとペトロは剣を振るうが、イエスは「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と告げる。

(黙想)

  • 他の福音書とはヨハネの語り方は少し違う。ここがゲッセマネの園であるとヨハネははっきり語らない。またイエスは祈らない。ユダは捕らえるべきイエスが誰かを教えるために、イエスに接吻することもない。ヨハネの記事ではユダは背後にいるだけである。イエスは積極的に「誰を探しているのか」と自らが捕らえるべき相手であることを相手に知らせようとしている。
  • 「ナザレのイエスだ」と捕らえに来た者たちが答え、「わたしである」とイエスが語ったとき、捕らえに来た者たちは後ずさりして地に倒れたという。「わたしである」という言葉には力があって捕らえに来た人たちは地に倒された。
  • イエスは「わたしを探しているなら、この人々を去らせなさい」と語り、弟子たちをその場から去らせようとする。他の福音書では弟子たちはイエスを見捨てて逃げている。ヨハネでは、弟子たちはイエスを見捨てて逃げることはしていない。信仰者はイエスの弟子であり、ヨハネは直弟子たちがイエスを見捨てる姿は描かない。直弟子たちを模範として描きたいのだろう。
  • ペトロが剣を使って捕らえに来た者のひとりの耳を切り落としたことは他の福音書にも書かれている。切り落としたペトロに対するイエスの言葉は違う。ヨハネでは「剣をさやに納めなさい」。マタイでは「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と語られた。
  • そしてイエスは「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」という。他の福音書では、イエスは「わたしの願いではなく、あなたの御心がなるように」とゲッセマネの園で祈っている。イエスが神のみ心に従うつもりであることをヨハネでは積極的に示している。
  • ヨハネ福音書と他の福音書の違いをまとめると、ヨハネ福音書において
    • イエスは祈っていない。
    • 自ら「父がお与えになる杯は飲むべきである」と語り、イエスには迷いがない。
    • ユダは背後にいて、表だっての働きはしていない。
  • ヨハネ福音書が描くイエスは父の御心を行うイエスであり、それはゲッセマネの園の場面でも貫かれている。他の福音書では「この杯を取りのけてください。しかしわたしの願いではなく、御心を行ってください」とイエスは祈っている。ヨハネの描くエイスは、真っ直ぐ父の御心行う。
  • またヨハネ福音書は「わたしは・・・である」とイエスは語り、御自分がいかなるものであるかを語っている。ここの場面ではイエスが「わたしである」と答えたとき、捕らえに来た者たちは地に倒された。これも「わたしは・・・である」とのイエスの自己啓示を真理であると語っているように思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <御子>父の御心を行う方である。
  • <御子>「わたしは・・・・である」とイエスは自分が何者であるかをこれまで色々示された。それは真実であることがここで示されている。

☆神が私たちに求める生き方

  • <模範>イエスは迷いなく父なる神の御心を行う。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様は迷うことなく、あなたのみ心に従っています。私もそうありたいと願います。あなたの御心に従うのは、信仰者の義務だからではなく、あなたとの交わりに生きることを喜ぶゆえに、あなたを崇めるゆえに、あなたの御心は私たちのためであるゆえに、素直に従いたいと私は考えています。私は自分の願いい通りの人生を求めるのをやめました。あなたの御心がなる人生こそ最善の人生であると信じるようになりました。あなたが私の最善を考えてくださり、その最善を導いてくださるので、あなたの御心に迷いなく歩みたいです。
  • ヨハネ福音書は、イエス様が何者であるかを語っています。イエス様は「わたしは・・・・である」と語っておられます。今は受難節。そして間もなくイースタを迎えます。イエス様の言葉が迫ります。「私は復活であり命である。わたしを信じる者は死んでも生きる」(11:24)。「このことを信じるか」とイエス様は尋ねられます。あらためて「信じます」と告白します。
  • 天の父なる神さま、この告白ができる幸いはとてつもない幸いではないでしょうか。この幸いの大きさが、今ひとつ分かりません。言葉では言い尽くせない幸いであると思います。分からせてください。イエスはご自分の死に向かって歩んでおられます。ご自分が復活であり、死んでも生きることをご存じです。この告白ができる幸いをわたしに満たしてください。
☆与えられた導き
  • 「この告白ができる幸いをわたしに満たしてください」と祈る。祈り続ける。