ヨハネ福音書17章1~5節

2020年3月12日

(内容)

  • 世を去るときが近づき、イエスは父なる神に、子に栄光を与えてくださいと願う。イエス様はこれまで、父の栄光を現してきたし、これから父の栄光を現すために、栄光を与えてくださいと祈る。

(黙想)

  • 4節でイエスは「行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました」と語る。イエスは、神がなすように命じた業をなし、神の栄光を現したという。イエスがなした業が神の業であることは信仰の目だけが見ることができる。イエスがなした業に神の働きを見るのは信仰の目である。イエスは、信仰の目で見るなら神の働きを見ることのできる働きを行った。つまりイエスは神の栄光を現した。つまり、その行った業が神を指し示すとき、それは神の栄光を現す行為となる。それは信仰の目だけが見ることができる。
  • そして今、世を去る時が来てイエスは、「わたしに栄光を与えてください」と祈る(1、5節)。イエスが栄光を受けるとは、イエスが神に遣わされた者であることが、信仰の目で分かるようにすること。人々が信仰の目でイエスが神に遣わされた者であることを認めるように、人々を神が導くということか。信仰の目で見るには、神の導きが必要である。
  • イエスは神から成し遂げるように与えられた業を行い、神に従順に歩み、神の栄光を現した。まことの神がおられることを現した。それは信仰の目でしか見ることはできないが。すると神は、イエスが神に遣われた救い主であることを信仰の目で見えるようにし、イエスの栄光を現したことになる。イエスの栄光とは、イエスが神に遣わされた救い主であるということである。
  • 説教者は、福音を宣べ伝えるべく努力し、神の栄光を現す。福音を語るとは、人間を愛し、人間を慈しみ、憐れまれる神を伝えること、証しすることである。そのことによって神の栄光を現す。説教を聞き、この神と人が出会うとき、説教者は栄光を受ける。福音を伝える使命を果たしたからである。それは神から来る栄光であり、人々を通してくる栄光でもある。説教に生かされている人々を見る喜び、それは説教者の栄光である。しかし説教者に対する人々の称賛は、気をつけなければならない。説教者を傲慢にさせる危険がある。
  • イエスは、御自分の栄光を神に求められた。これはどういうことなのか。イエスは父なる神との交わりに生きている。互いに栄光を与え合うことは、最高の交わりに生きていることを示している。「私の妻は、私にとって最高の妻です」と語るなら、それは妻の栄光を現すことになる。「私の夫は、私にとって最高の夫です」と言えば、それは夫の栄光を現すことになる。お互いに相手の栄光を現す関係なら、それはすばらしい夫婦関係と言える。
  • 私たちも父なる神に、栄光を与えてくださいと祈ることができるのではないか。自分が従順を尽くしているなら、言い換えると神さまの栄光を現しているのなら、わたしに栄光を与えてくださいと祈ってよいと教えられる。イエスもしておられるのだから。
  • わたしに栄光を与えてくださいともし祈るとしたら、僕の場合、自分の働きの実を見せてくださいとの祈りになると思う。人々の称賛がほしいとは思わない。もし僕の働きに意義があるとしたら、それは人を変える働きだから、その実を見ることが僕に与えられた栄光となる。そう考えることができる。そしたら、「わたしにも栄光を与えてください」と祈ることができるのではないか。
  • 永遠の命とは、唯一のまことの神と神が遣わされたイエス・キリストを知ることだと教えられる。信じることではなく、知ること。知るとは、知識として知ることではなく、交わりに生きて相手を知ることである。自分は永遠の命を与えられていると信じ、聖書と祈りを通して神との交わりに生きていると自覚している。じゃあ、神をどう知っているのか。イエス・キリストをどのように知っているのか、と問われたらどう答えるのだろうか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>2節。御父はイエスに、すべての人を支配する権能をお与えになった方。
  • <御子>2節。御子は父から委ねられた人に永遠の命を与えることができる方。
  • <御子>4節。父からなすように命じられたことを行い、父の栄光を現した方。
  • <御子>1,5節。栄光を与えてくださいと父に祈る方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>3節。永遠の命とは父なる神とイエス・キリストを「知る」こと。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様とあなたは互いに栄光を与え合う関係です。それは何を意味しているのかと思いました。それは父とイエス様の関係が最高にすばらしい関係であることを示していることを知りました。そして、私とあなたの関係ももしすばらしいものであるなら、私も「栄光を与えてください」と祈ることができることを教えられました。
  • 私の栄光とは、私の働きに対する人々の称賛ではなく、信仰の目で見ることのできる働きの実のことです。イエス様はぶどうの木のたとえで、わたしにつながっている枝は豊かに実を結ぶと約束されました。イエス様につながっていなければ実は結びません。今日はイエス様に倣い、「栄光を与えてください」と祈ります。
  • また私は永遠の命を与えられていると信じますが、自分はどうあなたを知っているのか、どのようにイエス・キリストを知っているのか問われているように思いました。言葉で表現したいと思いました。思いめぐらす時を持ちます。
☆与えられた導き
  • 「栄光を与えてください」と祈る
  • 思いめぐらす時を持つ。

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私は神を、イエス・キリストをどう知っているのか
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父なる神について

  • 聖書を通してご自身がいかなる方かを教えてくださる方。聖書によらなければ私たちは神を知ることができない。
  • 憐れみ深い方。慈しみ深い方。恵みに富み、忍耐強い方。
  • 畏れ敬うべき方。従順となるべきお方。
  • 私を導いてくださる方。祝福してくださる方。
  • 私を交わりへと招いてくださる方。
  • 私を牧師へと召してくださった方。

イエス・キリストについて

  • 父なる神に従順な方。
  • 私がついて行くべき方。模範となる方。
  • 愛のゆえに、自分の命を惜しまず、犠牲にする方。
  • 私を交わりへと招いてくださる方。
  • 私の救い主、私の主。
  • 信徒の交わりの中心におられる方