ヨハネ福音書 15章7~10節

2020年2月20日

(内容)

  • イエスは、御自分の言葉を内に宿し、イエスの愛にとどまるように弟子たちに語る。

(黙想)

  • イエスと弟子たちの関係は、イエスは弟子たちの内におり、弟子たちはイエスの内にいるという関係だった(14:20)。そのことはぶどうの木のたとえでは、「内にいる」という言葉が「つながる」と訳されている。イエスは「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と語り、わたしにつながりなさいと命じ、わたしもあなたがたにつながっていると約束された。このことがこの箇所でも語られている。
  • 7節。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたのうちにいつもあるならば」。イエスはみ言葉をもって弟子たちにつながろうとする。つまりイエスはみ言葉として弟子たちの内にとどまろうとされる。イエスの言葉を内に宿すことにより、弟子たちはイエスにつながることになる。
  • イエスは、私はあなたがたの内にいる、私はあなたがたにつながっていると約束される。それは弟子たちがイエスの言葉を内に宿すことにより、実現する。イエスは弟子たちにつながろうと手を差し伸べてくださる。弟子たちの方でイエスの手をつかめば、イエスとつながる。イエスの手をつかむ、それはイエスの言葉を内に宿すことである。
  • み言葉を内に宿す者に対してイエスは、望むものを何でも願いなさい、そうすればかなえられると約束する。ここでの祈りは、み言葉を内に宿すことから生まれてくる祈りである。
  • 8節。願いがかなえられ、実を結ぶなら、イエスの父すなわち父なる神は栄光を受けるという。
  • 9節。父なる神がイエスを愛したようにイエスも弟子たちを愛した。イエスの愛にとどまりなさいと命じられる。
  • 父なる神がイエスを愛したとある。具体的にどのようなことか。
  • 「御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた」(3:35)。
  • 「そこで、イエスは彼らに言われた。『はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである』」(5:19~20)。
  • 父なる神はイエスになすべきことを見せ、語るべきことを示された。イエスは父の愛に応え、見たことを行い、聞いたことを語った。それはイエスの父なる神への愛である。御子を遣わす、使命を与える、そこに父なる神の愛がある。
  • 愛するとは、相手との関係に生きることではないか。父なる神として子である御子イエスに関わる、それが父の御子への愛。御子として父なる神に関わる、それが御子の父なる神への愛。父なる神は御子に使命を与える。それが父の御子への愛。使命に従う、それが御子の父への愛。父と子の関係に生きる、そこに愛がある。
  • 妻に対して夫として関わる、聖書が命じる夫としての戒めに従う、それが夫の妻への愛。夫に対して妻として関わる、聖書が命じる妻としての戒めに従う、それが妻の夫への愛。
  • イエスも弟子たちを愛したとある。イエスと弟子たちの関係は羊飼いと羊の関係、あるいはぶどうの木とぶどうの枝で比喩的に語られてきた。イエスは弟子たちを生かす方、弟子たちはイエスによって生かされる。弟子たちを生かすところにイエスの弟子たちへの愛があり、イエスによって生きる、そこに弟子たちのイエスへの愛がある。
  • イエスは命のパンとして、真理、道として、復活、いのちとしてご自身を弟子たちに与えてきた。弟子たちを愛したのである。イエスを受け入れて生きる、それがイエスへの愛。イエスの愛にとどまるとはイエスを愛すること、イエスを受け入れて生きることである。
  • 10節。イエスの掟を守るとき、イエスの愛にとどまる。掟を与える、そこにイエスの愛があり、掟を守る、そこに弟子たちのイエスへの愛がある。イエスの愛にとどまるとはイエスの愛を受け入れること、イエスの掟を受け入れること。イエスの掟を守ること。それはイエスを愛すること。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)9節。父は御子を愛する方。御子を愛し、御子に使命を与える、それが父の愛。使命を与えられた。
  • (御子)望むものは何でも願いなさいと勧める方
  • (御子)弟子たちを、そして私たちを愛してくださる方
  • (御子)父の掟を守り、父の愛にとどまった方
☆神が私たちに求める生き方
  • (勧め)7節。望むことは何でも願うこと。
  • (教え)7節。願いがかなえられるためには、イエスの言葉を内に宿すことが大切。イエスの言葉を内に宿す者として願うこと。
  • (教え)8節。私たちはイエスの弟子である。私のアイデンティティーはイエスの弟子。
  • (模範)9~10節。御子は、父の掟を守り、父の愛に留まったことは模範。私たちもイエスの掟を守り、イエスの愛にとどまること。イエスの掟は「互いに愛し合う」こと(13:34)。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。7節の「望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる」はすばらしい約束ですね。でも祈り続けてもなかなかかなえられない祈りがあります。そういう祈りが多いです。ですからイエス様の「祈りはかなえられる」との約束に戸惑いを覚えるのが正直な気持ちです。執り成しの祈りは、すぐにはかなえられません。逆に自分が祈ることが何でもかなえられたら恐ろしくもなります。あらためて神さまの御心を思います。あなたの御心が実現するようにと主の祈りで教えられています。あなたの御心がいつどのようにして実現するのか、それは私たちの思いを越えています。かなえられると信じて祈り続けたいと思います。今日もいつもと同じように祈ります。
  • かなえられる見通しのある祈りもしたいと思いました。孫たちが信仰に導かれるように。今中学生の孫が洗礼を受けるように祈りたいと思います。
  • イエス様の掟を守り、イエス様の愛にとどまりなさいとありました。イエス様の掟、それは「互いに愛し合いなさい」です。思い出しました。ディボーションで「互いに愛し合う」ことで、祈祷会に参加している人たちのために祈ることを適用としたのに、うっかり忘れていました。祈りの課題に書いておかねばなりませんでした。今日は祈りの改題に書き加え、これから祈り続けることとします。うっかりしていたことお赦しください。
☆与えられた導き
  • 中学生の孫の受洗を祈る。
  • 祈祷会に参加している人たちのために祈る。祈りのノートに記入。