ヨハネ福音書 14章6節

2020年2月1日

(内容)

  • イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

(黙想)

  • 「言」が肉となられたのがイエスである。「言」とは「神の言葉」。聖書が証しする神は、人間に語りかける神である。そして聖書は、神の言葉であり、聖書を通して、神は私たちに語りかけると僕は信じる。
  • この神の言葉を信じることが神に至る道であり、神の言葉は真理であり、神の言葉は人に命を与え、人を真に生かす。
  • 人はこの世に生を受け、人生を生きる。そしてある時、命が終わり死ぬ。この命は生物としての命。この命には限りがある。人はいつまでも生きることができない。人は必ず死ぬ。
  • もう一つの命、神の言葉が与える命は永遠の命と呼ばれる。それはイエスを信じる人に与えられる。イエスを信じる人には与えられている。この命に生きる人は、神の言葉を糧とする。イエスが私は命のパンと言われたように、神の言葉が永遠の命を支えることになる。神の言葉、聖書を糧としない信仰者にとって、永遠の命は限りなくしぼんでしまい、信仰者を生かすことができなくなる。
  • 神の言葉によって生きるとは、神との関わりに生きること、神との交わりに生きること、つまり神との関係が与えられていることを意味する。そしてこの神との関係は、生物としての人間の死を越えてなお継続する。神との関係は永続する、それゆえに永遠の命と呼ばれる。
  • 「後の代に語り伝えよ。この神は世々限りなくわたしたちの神/死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と」(詩編48)。
  • 僕は聖書を通して、神がいかなる方かを知った。そして神の言葉が真理であると教えられ、神の言葉を土台にして物事を考えるようになった。人間の知恵や常識、経験よりも、何よりもまず神の言葉に基づいて物事を考えるようになった。これは聖霊の導きと信じている。それゆえ、僕は永遠の命に生きている、永遠の命に生かされていると信じている。
  • そして今の課題は、神との関係は、死を越えて続いていくことを頭だけではなく、心で信じること。それで初めて「私は道であり、真理であり、命である」イエスを本当に信じることになる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>イエスは命である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>イエスが命であることを信じること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、聖書を読んでいよいよ思わされることがあります。それは永遠の命を本当に信じるということ、言い換えると、あなたと私の関係、つながりは決して絶えることがないことを信じることです。死を越えてあなたは私を導いてくださることを心から信じることです。頭では、理性では信じています。あなたの導きなくして、心で信じることはできません。それゆえ導いてください。
  • そして思います。あなたに祈り求めるしかないことを。それゆえ祈ります。祈り続けます。私を憐れみ、顧み、信じさせてください。
☆与えられた導き
  • 永遠の命を心から信じることができるように祈り求める。