ヨハネ福音書 3章31~36節

2019年6月21日

(内容)

  • イエスが何者かが語られる。神から遣わされ、天(上)から来られた方である。誰も、この方の証しを受け入れない。この方は神の言葉を話す。この方、御子を信じる者は永遠の命を得ているが、信じない者は、神の怒りがその上にとどまる。

(黙想)

  • この箇所は、だれかが語った言葉として書かれている。表現からしてイエスが語った言葉ではない。著者ヨハネの言葉と考えることができる。3章11節以下で、イエスは同じ事を語っている。ヨハネはイエスの語ったことを伝えていることになる。
  • イエスは天から来られた方である。あるいは上から来られた方、神がお遣わしになった方と表現されている。イエスは地に属する者ではない。イエスは上から来た者として、語る。「見たこと、聞いたことを証しされる」とある。5章19節で「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることは何でも、子もその通りにする」とあり、子であるイエスと父なる神との一体性が表現される。要は、イエスのなさること、話されることは、父なる神の御心を体現している。
  • 人間は、自分を出発点として物事を考える。人間は地から出て、地に属する者である。それゆえ、天から来た人、神から遣わされた方の語ることを理解できるとは限らない。そして信じるとは限らない。32節では、「だれもその証しを受け入れない」とさえある。誰も受け入れないのなら、信じる人はいないはず。だからこの文はイエスを信じる者が少ないことを強調している。それは現在も同じ。教会は福音を宣教するが、聞いた人がすべて信じるとは限らない。いや、信じる人は少ない。
  • 34節は興味深い。神が霊を限りなくお与えになるので、イエスは神の言葉を話されるとある。神の御子も霊を限りなく与えられて神の言葉を語るという。召されて伝道者になった者も、限りなく霊を与えられなければ、神の言葉を語る務めを果たすことはできない。霊を限りなく与えられるとは、どういう状態なのか。どういうことなのか。確かなことは、聖霊の導きを祈り求めるということ。
  • 御子を信じない者の上には、神の怒りがとどまるという。なぜこのような断言ができるのだろうか。旧約聖書には、罪に対して神が怒り、さばきを行ったことが何度も書かれている。神の裁きという事柄は、地に属する事柄ではないの、我々はすぐには信じることはできない面がある。しかし神の言葉として語られている。素直に信じることが大切だ。でもその素直さは、聖霊の賜物としての信仰に他ならない。
  • そもそも神の言葉とは何であろうか。それは人間の言葉ではなく、人間が考えることを超えており、人間が思いつくような言葉ではない。人間の外からくる言葉。そして人間を救い、人間を生かす言葉。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)31節御子は、天(上)から来られた方であり、神がお遣わしになった方である。私たち地に属するものではない。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」のである。
  • (御父)33節。父なる神は真実な方である。
  • (御子)34節。御子は限りなく聖霊を与えられて神の言葉を語る方である。
  • (御父)35節。父なる神は、御子にすべてをゆだねられる方。
  • (御父)36節。御子を信じない者の上に、御父の怒りがとどまる。
☆神が私たちに求める生き方
  • (約束)36節。御子を信じる者は永遠の命を得ている。「得ている」は現在形。主イエスを信じる者は、今、永遠の命をもっているのである。
  • (勧め)34節。神の言葉を語るべく召された者は、限りなく聖霊の導きを求めるのがよい。
  • (勧め)36節。神は侮られる方ではない。
  • (教え)神の言葉とは、私たちの外から来る言葉である。私たちはこれを聞く。神の言葉は、私たちを救い、私たちを生かす言葉である。私たちは地に属する者として、神の言をすべて信じないで、受け入れることのできるものは受け入れ、受け入れられないものは受け入れないという傾向を持つ。でもこれは神を真実な方としないことでもある。神を全面的に信用していない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様は神の言葉を語られましたが、イエス様は限りなく聖霊を与えられて神の言葉を語ったとイエス様でさえ、そうであったのなら、私たち説教者は、聖霊の導きを切に求めなければなりませんね。明後日は、説教奉仕があり、説教の準備をしています。あなたが限りなく聖霊の導きを与えてくださり、み言葉を語らせて下さるようお祈りします。
  • 神さま、私はまだ終末の事柄をリアルなこととして受けとめることができていません。地上に属する者なので。でも終末があることを覚え、それを前提にして歩んでいるつもりですが、神の怒りがとどまっている者たちの救いのために祈ることはまだできていません。まず滅び行く者たちの救いを祈り求めるところから始めたいと思います。
☆与えられた導き
  • 説教のために、聖霊の導きを切に祈る。
  • 滅び行く者のために祈る。