ヨハネ福音書 9章18~34節

2019年11月4日

(内容)

  • ファリサイ派の人たちは頑なといえるほどにイエスが盲人の目を開いたことを認めようとしない。目の前の事実を見ようとしない頑なな態度が印象に残る。

(黙想)

  •  ファリサイ派の人々のことをユダヤ人と書いている。これはこの福音の読者たちがユダヤ人からの迫害を受けている状況が反映している。
  • ファリサイ派の人々(ユダヤ人たち)は、目の前にいる人が「自分は盲人だがイエスが目を見えるようにしてくださった」と言っているのに信じようとしない。盲人の目が見えるようになったという出来事を認めようとしない。目の前の現実から目を背ける。それほどイエスを受け入れたくないのである。ここに彼らの頑なさが極まる。
  • 盲人の母は息子がどうして目が見えるようになったのかと問われて、息子に聞いてくださいと語った。ユダヤ人たちを恐れていたからとある。クリスチャンがユダヤ人から迫害されている状況を反映している。恐れはだれもが避けたくなる。
  • 盲人は「ただ一つ知っているのは目の見えなかったわたしが、今は見えるということです」と語り、イエスのなさったわざを認めている。さらに神は罪人の言うことを聞かないし、イエスが神のもとから来なかったらこのようなことはできないと正直に語っている。この盲人は素直に自分の身に起きたことを受けとめ、イエスが神のもとから来たことを認めている。

(聖書に聞く)

☆神が求める私たちの生き方
  • (警告)自分の立場に固執して見るべき現実に目を背けること。ユダヤ人たちは、イエスによって盲人が目が見えるようになったことを信じない。目が見えるようになった盲人が語っているのに信じようとしない。非常に頑なである。私たち信仰者にも、このような頑なさがないとは言えない。
  • (勧め)盲人は自分の身に起きたことをきちんと受けとめている。自分の目が見えるようになったことは確かである。神は罪人の言うことを聞くことはなく、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは聞いてくださる、盲人の目が見えるようになったということは聞いたこともない。イエスは神のもとから来た人にちがいない、と神の前に正しく考えている。
  • 私たちのうちに潜む罪は、盲人のように謙遜に正しく考えることをできなくさせる。イエスを信じることによって始まる信仰の世界に生きることに不安や恐れを感じることがある。そこで慣れ親しんだ今の自分の立場、自分の考えにとどまるほうを選んだりする。このほうが楽であり、安心である。イエスを信じる人でも、真っ直ぐに信仰の道を歩まないことがある。自分の内にある罪が妨げるのである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書も色々考えさせられる箇所でした。人はなかなか素直に信じない存在であることを知ります。この盲人だった人のように素直に自分の身に起きたことを喜び感謝し、イエス様を信じていく姿勢は模範です。
  • 私たちには聖書があります。聖書には福音が語られています。救いが語られています。イエス様を信じながら、その救いを全面的に受け入れないことが起きています。福音は罪の赦しだけではないこと、人は義とされ新しく生まれ変わり、神の目に正しいと認められるだけではなく、正しい人間へと実際に造り変えられていき、罪から解放されて生きることができます。罪が赦されるだけでなく、罪から解放されてこそ、救いです。この罪からの解放を喜ぶ声が聞こえてこないのです。
  • その原因を思うとき、「実感できないから」ということがあると思います。「実感」というのは、強力な障害です。「正しい者は、信仰によって生きる」(ローマ1:8)。私たちの歩みは信仰に始まり、信仰に終わります。罪の赦しは信じることができるとして、自分が新しく生まれ、神さまの教えを喜びこれに従い、罪に打ち勝ち、聖なる者とされていく、罪から解放されていく、そういうキリスト者の歩みがあるのに、このような歩みの喜びが聞こえてこないのです。実感できないものは信じることができない、というのは悪弊だと思います。実感が妨げになって先へ進めないのです。
  • 説教者自身が、聖書が語ることは理解しても実感できないから、福音として語ることをためらっている、という現実があるのではないかと考えます。説教者が福音として罪の赦しを語る、義認を語る。それは正しいと思います。でもそこで終わりではないのにそれ以上に進まないのです。私たちは福音をきちんと受けとめていないのです。説教者が福音を余すところなく宣べ伝えるように、これは私の日々の祈りです。天の父なる神さま、福音がきちんと宣べ伝えられますように祈ります。
  • また先日ある会で、K牧師と出会い、K牧師から説教のプリントをいただきました。その説教では信仰義認がテーマとなっていました。なぜ、信仰義認を強調する説教をされたのか、伺ってみたいと漠然と考えていました。さらに福音をどう理解しておられるのか、聞いてみたくなりました。もう一度説教を読み、できたら手紙を出してみたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
  • K牧師の説教プリントを読む。