ヨハネ福音書2章13~22節

2019年6月3日

(内容)

  • 過越祭が近づき、イエスはエルサレムに行かれた。そしで神殿に入り荒々しい業を行われた。なぜこんなことをするのかと問われ、イエスは神殿を三日で建て直してみせると答えられた。

(黙想)

  • イエスは、神殿が商売の家になっていることに猛烈に抗議をした。言葉による抗議ではなく、荒々しい行動による抗議であった。
  • 「商売の家」。それは神殿を人間の都合のよいものにしているということである。
  • ユダヤ人から見ればイエスは、秩序を破壊する者に見えた。それで「こんなことをするからにはどんなしるしを見せるつもりか」と問うた。要するにどんな権威があってこのようなことをしたのかと問うた。ユダヤ人からすれば、神殿は神殿として機能しているように思っているのに、ノーと否定されたのだから。つまり神殿で行われている宗教儀式全体に対する抗議を受けたように思えた。神殿を商売の家にしているというのだから。
  • ユダヤ人に対して、イエスは「神殿を壊して見よ。三日で立て直してみせる」と語る。
  • 私が「神殿」だというイエスのお言葉は、ご自分が礼拝されるべき神であることを強烈に物語る。
  • 私たちもまた教会に行って礼拝を献げ、教会の働きに参与している。神に仕えている。現状の教会は、その存在と働きが神の教会、キリストの体としてふさわしいものであるのか、自己吟味をしてもよい。イエスは私たちに自己批判を迫るおかたとして今日の聖書に登場していると言えるのではないか。
  • 教会が使命を忘れ、魂の平安を得るための場所になっているとしたら、やはりイエスから批判を受けるだろう。
  • 私たちとしては御言葉から自己批判をすべきである。
  • 教会の足りないところを数え上げるのは簡単である。教会もまた人間の集まりなのだから。
  • 牧会を離れた人間は無責任な、そして他人事として教会を批判してはならない。むしろ祈るべきだ。自らの牧師としての歩みを自己批判しつつ教会の現状の課題を数え上げ、祈るべきだろう。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)イエスは神殿の現実を見て神の神殿にふさわしくない現状をご覧になり、批判的な行動を取られた。イエスは、神殿が真の神殿であること、教会が真の教会、キリストの教会であることを願われる方である。
  • (御子)御子は神殿を三日で建て直される方、教会をたてあげる方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • (教え)私たちは自分たちの教会が、キリストの教会としてふさわしいか否か、自己吟味をしてよい。いやすべきであろう。その場合の基準は聖書である。聖書に照らして自己吟味をする。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様は、神殿の現状を見て、商売の家になりさがっているのをご覧になって怒りを覚えられました。狼藉を働かれたように見えますが、やむを得ない行動だったと思います。なぜそんなことをするのかと問われ、三日で立て直すことができる答えられました。イエス様は復活され、教会のかしらとなってくださいました。イエス様を主と仰ぎ、主に従う教会、信仰者が互いに愛し合う弟子の共同体としての教会、福音を証しする証し人の群れとしての教会。どの程度、聖書が描く教会に現実の教会が近づいているのかと思います。神さまがご覧になれば、ため息をつかれるかもしれません。でも牧師として仕えている者たちは、それなりに精一杯努力していることも確かです。ヨーロッパでは、教会の礼拝に出席する人が減少していると聞きます。
  • 教会は歴史の中を生きてきました。色んな時がありました。教会はこの歴史の中でこれからも存在を続けていくと思います。しかしその歩みには、厳しさが予測されます。教会員が高齢化し、若い人たちが少なく、教会の存続に危機感を覚えます。
  • 天の父よ、どうしたらよいのでしょうか。教会の働きの基本は福音を宣べ伝えることにあります。これが大切であることを思います。福音を宣べ伝えているつもりでも、本当に福音が宣べ伝えられているのか、なかなか自己吟味する機会がないように思います。
  • 大きな壁を前にして、どうしたらよいのか、戸惑いを覚えます。今日、年賀状を整理していたら、引退して高齢の元牧師が、年初に始めたことを11月に完成させることができたと書いてありました。何をなさったのかは分かりませんが、明確な目的をもって歩んでおられることを知りました。
  • 牧師の働きから引退していますが、テーマを追求していきたいとの思いはあります。「聖霊の交わり」は私にとって大きなテーマです。礼拝の最後の祝祷で、「聖霊の交わり」が祈られますが、礼拝説教でも聖霊について具体的に語られることは少ないのではないでしょうか。事のついでに「聖霊」という言葉が語られますが、聖霊そのものがじっくり語られ学ばれることが少ないように思います。聖霊信仰が今後の教会の働きの鍵になると思っています。聖霊の交わり、について、焦点を絞って学んでみたいと思います。残された人生の課題としてもいいなと思わされます。初心に返って学んでみたいと思います。導いてください。
  • 取り上げるべきは、主イエスが授けられるとされる聖霊による洗礼です。ある人たちは、聖霊のバプテスマを受けて異言を語ることを主張しますし、別な人たちは、水の洗礼を受けるとき、聖霊による洗礼も同時に受けるとし、聖霊による洗礼については何も語ろうとしていません。どちらも共感できません。大切なことを見失っているように思います。
  • ペンテコステの日、祈っている弟子たちの上に聖霊が下りました。彼らは聖霊による洗礼を受けたのです。そして力を受けキリストの証人として、キリストを宣べ伝えました。聖霊による洗礼が、伝道の鍵を握っているような気もします。
  • 聖霊についての学びを継続的に行っていきたいと思います。

☆与えられた導き

  • 聖霊についての学びを続けて行っていく。