ルカ福音書 24章1~12節

2019年5月1日

(内容)

  • 週の初めの明け方早く、女性たちが墓に行くと墓の入り口を閉ざしていた石が転がしてあった。中に入ってみると主イエスの遺体が見当たらなかった。途方に暮れていると二人の天使が現れ、なぜイエスを死者の中に捜すのかと咎める。復活したことを告げ、主イエスが苦難と復活をすでに語っていたことを指摘した。女性たちは戻り、弟子たちに告げると弟子たちは信じなかった。

(黙想)

  • マタイ、マルコ福音書の復活の時期と比較してわかるルカの特長は、主イエスの復活について、すでに主イエスがご自身の復活を語っていたことを天使が女性たち思い出させていることである。「なぜ生きておられることを死者の中に捜すのか」と天使は問い、主イエスの復活を信じていなかったことを咎めている印象を持つ。
  • そして使徒たちつまり弟子たちも、女性の話を信じなかった。弟子たちも復活を語った主イエスの言葉を信じていなかった。エマオ途上のエピソードも合わせて考えると、ルカは、主イエスの復活は聖書の成就と語っているように見える。
  • ルカはなぜ弟子たちのことを「使徒」と語るのか。何ヶ所かでそうしている。
  • 使徒たちは主イエスの復活を戯言のように思った。非日常の出来事に思えたのである。しかし二人の天使は、すでに主イエスが苦難と死を語っていたことを女性たちに思い出させている。女性たちは主イエスの言葉を思い出し、主イエスの復活を信じたと思われる。
  • ここには信仰の対立がある。聖書の言葉が成就することを信じる信仰と、自分の理性では信じられないことは信じない信仰の対立がある。言うまでもなく、復活は喜びである。私にとって、聖書の成就にして、理性では信じがたいこととは、終末の事柄である。そしてこれも喜びの出来事である。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)イエス様は、あらかじめ弟子たちにご自分が苦しみを受けてなくなるが、その後復活されることを三度も弟子たちに語っておられた方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • (罪)婦人たちは、弟子たちにイエス様が以前語っていたとおりに復活されたことを伝えたが、弟子たちは信じようとしなかった。自分の理性で信じられないことは受け入れない。しかしイエス様ご自身がご自分は復活されることを語っておられたのに信じない。イエス様の言を信じないのは罪と言える。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、イエス様がご自分が苦しみを受けて死に復活する弟子たちに三度も語られました。弟子たちはそれを聞きました。今、女性たちを通してイエス様が復活したとの知らせを聞いた時、弟子たちはイエス様の復活を信じてよいはずでした。しかし死んだ人が復活するなんて常識に反すると考えたのでしょう、結局信じませんでした。
  • 弟子たちのことは他人事ではないことを思います。私は終末の事柄を本気で信じているのかと言われると半信半疑なところがあります。しかし疑うのではなく信じる立場に立っています。本気で信じることができたらいいな、と思っています。どうしたら本気に信じることができるのか、これまでもいろいろ考えてきましたが、これは理屈によって信じることではなく、聖書に書かれているゆえに、素直に信じることが大切だと思います。神さまは、終末の事柄を素直に信じることができるように導いてください。
☆与えられた導き
  • 終末の事柄を信じることができるように祈っていく。