フィリピの信徒への手紙 1:27~30

2017年12月15日

(内容)

  • パウロは、「キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と勧めます。その結果、フィリピ教会の人たちが、一つの霊によって心を合わせて福音の信仰のために共に戦っていることを聞くことができることをパウロは期待しています。
  • パウロがそのように考える理由は、フィリピ教会の人たちは、キリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているからだとパウロは告げます。そしてフィリピ教会は、パウロが戦っている戦いと同じ戦いを戦っているとパウロは語ります。

(黙想)

  • 教会とは何かを教えられます。教会とはそこに集う人々が一つの霊によってしっかりと立ち、心を合わせて福音信仰のために共に戦っている、それが教会だとパウロは語ります。
  • その戦いは、パウロが戦っている戦いを同じ戦いです。フィリピ教会の人々はパウロの戦いを見聞きしています。それと同じ戦いを戦っているというのです。それは信仰者はキリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむことも恵みとして与えられているからだとパウロは教えます。
  • 私たちが属する教会は、パウロが考えるような教会になっているのだろうか、と考えます。教会は高齢化し、年をとった方たちは、病気と闘い、病気と共に生きています。礼拝に出席することのできない状況の中で、信仰に立って希望を持ち続けることがむずかしくなっているかもしれません。信仰の孤独の戦いをしているかもしれません。そして教会の伝道は振るいません。「心を合わせて福音と戦っている」現実は、見られるのでしょうか。教会の活動は行われてはいます。しかしそれは型どおりの活動になっているのではないか、と思うこともあります。
  • パウロの戦い、それは福音を福音として伝えることでした。教会の中に異なる福音が入ってくることに対してパウロは戦いました。パウロは使徒としての権威を疑われることさえありました。今日、教会の中で福音が宣べ伝えられているのだろうか、と考えます。確かに宣べ伝えられています。しかし福音を狭く捉えてそれだけを宣べ伝えている現実があるのではないかと考えます。福音を罪の赦しに限定してしまうことがあるのではないかと危惧します。キリスト者として生まれ変わり、聖なる生活が営まれているのだろうか。さらにはキリストのために苦しむことを恵みとして受けとめ、この恵みに生きようとしているのだろうか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
☆神が私たちに求める生き方
  • (教え)27節。福音に不沢井衣生活をすること
  • (教え)29節。キリストのために苦しむことも恵みとして私たちに与えられている。
  • (勧め)30節。パウロと同じ戦いを戦うように、私たちも召されている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書を読んで印象に残ったのは、パウロの戦いと同じ戦いをフィリピの教会の人たちが戦っているとパウロが受けとめていることです。私もパウロと同じ戦いを戦うように召されているのではないか、との思いが湧いてきました。
  • 教会に仕える牧師としての働きからは隠退しました。第二の人生を生きることが許されるのかもしれません。しかし福音宣教に携わってきた私には、これから離れて自分の人生を豊かにする第二の人生は考えることができません。しかし「働きの場」から退いたことも事実です。今日はあらためてパウロと同じ戦いをするように導きを受けました。
  • 私のささやかな願いは、やはり福音を福音として宣べ伝えることです。福音が罪の赦しに限定して宣べ伝えられていて、その結果通りの信仰者たちの生活が営まれていることを感じます。そこには伝道する力がありません。信仰者の証しも生まれてきません。福音はもっと豊かです。人を生かします。私は自分の置かれた立場で、自分にできる範囲のことをしたいと思っています。福音宣教は神さまの御業です。自分に与えられた分を果たせば良いと考えます。果たさせてください。
  • 福音の豊かさを学ぶために、今日はロインドジョンズのロマ書の説教を読み、学びたいと思います。さらに今、ブログで福音について考えた文章を書いていますが、今日も書きたいと思います。
☆与えられた導き
  • ブログを更新する。
  • ロイドジョンズの説教を読む。