ルカ福音書 6章12~19節

信仰の友 Nさんディボーション
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2018年4月11日

(内容)

  • ファリサイ派の人や律法学者たちがイエスを非難したり陥れようとしている頃、主イエスは祈るために山に行かれ、一晩中祈られた。夜明けに弟子たちを呼び、その中から12人を選び使徒とされた。
  • ペトロ(シモン)、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員シモン、ヤコブの子ユダ、イスカリオテのユダである。彼らと山を降りると各地から多くの弟子と民衆が来ていて、教えを聞き、病気をいやしてもらおうと待っていた。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)12節。夜を明かされるほどに祈られる方
  • (御子)13節。弟子の中から12人を使徒に選ばれた。選ぶお方。
  • (御子)18~19節。病気を癒やすことのできる方。
☆神が求める私たちの生き方
  • (模範)12節。夜を徹して祈るほどに祈る方であり、非難されようが陥れられようがイエス様が静かなところで神さまに向かって祈られる姿勢を模範としたいと思う。

(神の導き)

☆祈り
  • 天のお父様、今日のみことばをありがとうございます。この小さな者に聖書のことばをもって語り導いてくださることをありがたく感謝します。聖書という手段をもって私に語ってくださるというあなたのお知恵と優しいお心を賛美いたします。
  • 今日は人としてきて下さったイエス様が祈りをもって神さまとのお交わりをしておられることを見させていただきました。何を神さまに祈り、神さまからどのようなお言葉をいただいのか、内容は分かりませんが夜通し祈られたというお姿から神さまとの深いお交わりをしておられることは想像できます。わたしの祈りはどうかと考えると一方的お願いの祈りが多いと思います。
  • 今日ふと気づきました。このところ神さまからのおことばとして、折にふれ聖書の言葉が心に浮かんでくることがなくなっていると。
  • 先日孫に「おばあちゃんは何でそんなにお祈りするん?」と聞かれました。その孫の妹である生後10ヶ月になる双子の孫の見守りを時々手伝っています。
  • 動き回るようになり、頭をぶつけたり、ほんの少し開いているタンスの引き出しに手を入れて抜けなくなって痛がって泣いていたとき、すぐに手を当てて私がお祈りしたのでその姉である孫が不思議そうに聞いたことでした。私としては若いときのように何本もアンテナを張り巡らして観察しながら、しかも機敏に赤ん坊の世話をすることができなくなっており、神さまに祈りつつ助けていただきながらの見守りなのです。
  • 孫に聞かれたとき、「○○ちゃんの痛みを治してくださるように、守ってくださるようにお祈りをするんだよ」と応えました。それ以上には語れませんでした。
  • 今日のみことばを通し私のお祈りは一方的にお願いする祈りであること、細切れのお祈りであることに気づかされました。細切れというのは、ふと思いつき歩きながら祈ったり、食器類を洗いながら祈ったりの”ながら”の祈りです。今の生活はじっくり時間をかけても半日でも神さまとお交わりをする時間が取れる日がある生活です。近所付き合いや若いときのような用事はほとんどありません。気づきを与えてくださりありがとうございました。
  • 私が用いているディボーションガイド誌には聖書通読の項目もありますが無視していました。いつも三日坊主なので諦めていました。昔夫が「三日坊主を繰り返せばいい。三日坊主をそれっきりで終わらせず、三日坊主でもいいからもう一回やってみる。そういう三日坊主を繰り返していけばつながっていく」と言ったことを思い出しました。
  • ディボーションに加え、自分のペースで通読と祈りの時間を持とうと思います。いつするかを考えます。今日のディボーションを通して志が与えられたことをうれしく思います。
  • 私の内にいてくださる聖霊なる神さまが励まし助け導いてくださいますようお願いいたします。
(与えられた導き)
  • 夜、夫が勉強している時間に合わせて通読と祈りの時間をつくる。
  • 今日は夜、祈祷会に行くので、午後実行してみることにする。通読は創世記から始める。神さまのお言葉である聖書をじっくり通読する。祈りの内容は「感謝」。神さまからいただいた恵みを思いめぐらし、神さまがどういうお心でこの恵みをくださったのだろうかと思いながら、一つ一つ感謝の祈りをおささげする。