列王記下 18章13節~21節

信友のAさんのデボーションです。

2017年10月17日

(内容)

ユダの王ヒゼキアは12節までで、神様に信頼して、戦に勝利し、アッシリアにも反逆し、仕えず、ただ主に仕え従って歩んでいたことが書かれています。そんなヒゼキア王のところにアッシリアの王センナケリブが攻めてきました。ヒゼキア王はアッシリアの王に使いをやって、なんでもするから引き揚げてほしいと願い出ます。アッシリアの王は金銀を要求してきたので、ヒゼキア王は全て金銀を渡しました。要求通りにしたにも関わらず、アッシリア王はエルサレムに大軍を送り包囲し、完全降伏を求め、反逆を責め立てました。

(聖書に聞く)

☆神様はどんなお方か
  •  王の王。お仕えするべき、信頼に値する唯一の方。
  •  神様以外に依り頼む対象があることを忌み嫌われる方。
☆神様が求めるわたしたちの生き方
  • (示される罪)14節 16節。アッシリアが攻めてきたとき、すぐに神様にまず依り頼まなかった。この世の王と大軍を恐れ、反応してしまった(要求をすぐにのんでしまった)。
  • (勧め)19節、20節 誰に依り頼んでいるのか?と問いかけられている。王の王なる神様、信頼に値する唯一のお方、神様にのみ、依り頼むように示される。行動や言動の根拠が、神様への信頼、信仰であるように示される。
  • (警告)神様を信じて信仰の歩みを進めているときに、そのことを間違ったことをしているかのように、批判的に捉えて責め立てる人が現れることもある。信仰のアイデンティティをしっかりもち、動揺してはならない。どのように対処したらよいか、神様にまず聞くことが大切。

(神の導き)

☆与えられた導き
  • 神様だけに従おうとしないとき、どんな結果を導き出すかをわかりやすく示して下さった。神様感謝します。私たちは神様と神様以外のもの、2つのものに従うことはできない。主にあって互いに愛し合い、尊重しあうという人間関係が崩れているとき、人同士で隷属関係ができてしまう人間の罪、恐ろしさを感じる。そのような状態にあるとき、人の言いなりになることや服従することは、一見、この世的に平和的解決方法に見えても、神様をないがしろにすることになるのだと知らされた。
  • 「境界線」の本を思い出した。神様を依り頼んで歩もうとしているときに、そのことを責め立てられたり、不当な扱いを受けた時、思わず反応して抵抗してしまう。相手に自分の考えを理解してもらおうと必死になったり、納得させようとしてしまう。そのような戦いはしてはいけない。神様がのぞまれる対応の仕方を「境界線」では教えられる。神様にゆだねる。まず神様に聴く。自分勝手にヒューマニズム的平和解決をしようとしない。自分に境界線を引くことを恐れないでいるために、もう一度本を読み直そう。同じように苦しんでいる姉妹2名のために、いつか「境界線」の本を一緒に学ぶ機会が与えられ、恐れずに神様のみに信頼していけるよう祈ろう。
☆後日の黙想
  • 祈りの課題だった、本の学びについて、約2週間後に、姉妹2名は、ある学びを始める機会が与えられました。神様が祈りを聞いておられ、導いてくださったことに感謝します! わたしはその学びに参加できないのですが、夫婦で読む機会が与えられています。神様がみことばに従う具体的方法を示してくださっているのですから、読んで終わりではなく、学んだことが生かされていきますように。今私たちが直面している問題に対して、神様の方法で、みんなで対応していけますように。引き続き神様に信頼し、祈っていきます。