ヘブル人への手紙11章17~40節

2018年1月31日

(内容)

旧約に登場する信仰によって生きた人物が列挙されています。そしてこれらの人々は信仰によって歩み、神様に認められましたが、約束されたものは手に入れなかったと語られます。完全な状態にも達しなかったと指摘されます。気力を失い疲れ果てていそうな(手紙の受取人)に対して、イエスを見つめ、イエスのことを考えながら、罪を捨て、忍耐強く歩むことが勧められています。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)39節。信仰によって生きる人を認めてくださる方である。
  • (御父)40節。神さまは天の故郷(神の国)を私たちのために用意してくださり、私たちをここへ招いてくださる方です。イエス様を信じる者に対して、この招きがハッキリと約束されています。
  • (御父)40節。私たちを完全な状態に達するよう導く方。私たちは罪を清められ、克服し、神様に対して従順に歩むことができるようにしてくださる方。完全な状態の実現は、終末の時つまり神の国に迎えられる時です。この世の歩みにあっては、終末時の完成を目指して神さまに従順な歩みをする努力をします。
☆神が求める私たちの生き方
  • (勧め・模範)私たちも信仰によって歩むこと。名前を列挙された旧約の人々は、私たちの模範です。信仰によって歩むとは、神さまの約束を信じ、この約束の実現に向かって生きること

(神の導き)

☆祈り

天の父なる神さま、信仰とは望んでいる事柄を確信することであるとのみ言葉を教えられ、信仰とはあなたの約束に生きることと学んで、そのように歩んでくることができたことを感謝し、約束をもって導いてくださったあなたを賛美します。こうしてディボーションを続けてきて思うことがあります。もしディボーションをしなければ「しない」であろうことをディボーションにより「行って」日々の生活をしていることです。自分では意図しなかったことをディボーションを通して行っています。ディボーションのノートには、「与えられた導き」として受けとめたことを実践しています。
これが本当に神さまの導きなのか、と言われたら、神さまの導きであると証明する手段はありません。でもこのような歩みを積み重ねていくと、神さまに導かれていると自分では受けとめることができます。
奈良に転居して10ヶ月が過ぎました。奈良に来る時は考えもしなかった<御言葉に生きるための提案>というサイトをインターネット上に開設できましたし、最近のディボーションでは、老いの中にあって死を越える希望について思いめぐらし、信仰を深めることができたことも、あなたの導きと感謝するものです。こうしていると一つの賛美が聞こえてきます。”God will make a way”です。

God will make a way
Where there seems to be no way
He works in ways we can’t see
He will make a way for me

He will be my guide
Hold me closely to his side
With love and strength
For each new day
He will make a way
He will make a way

神さまは、道がないと思えるところに道をつくってくださる。
私たちが見ることができないような方法で
私のために道をつくってくださる。
神さまは私たちの導き手。
神さまの側に私たちをしっかりを抱き寄せてくださる
愛と力をもって、新しい一日一日に。
神は道をつくってくださる。

 こうして歌詞を見ていると、この通りに歩んでいるんだなと思わされます。私を導いてくださったあなたを賛美します。今日はこの歌であなたを賛美したいと思います。
さらに神様のみ言葉を通して、神さまの約束を与えられ、あなたに導かれて歩む人が一人でも増し加えられるようにと祈ります。このサイトを通して、聖書によって歩む人を増し加えてくださいと祈ります。

☆与えられた導き
  • 神さまを賛美する。
  • 御言葉によって生きる人が増し加えられるように祈る。