ヘブライ人への手紙 11章1~16節

2018年1月29日

(内容)

最初に信仰とは何かが語られ、創世記に登場する人物が信仰によって歩んだことが語られます。さらにアブラハム、イサク、ヤコブが約束されたものは手に入れなかったが、はるかにそれを見て喜びました。約束されたものとは、神の都、天の故郷であり、彼らは地上では、よそ者、仮住まいのものであることを言い表しました。

(黙想)

  • 著者は創世記に登場する人物を信仰によって生きた人として紹介します。アブラハムたちが天の故郷を熱望したいたことは、創世記には書かれていません。住む場所を変え、旅人のように歩みました。それは彼らが天の故郷を目指していたからとするのは、著者の解釈というか、創世記が語っていないことを著者が語っていることになります。著者が、アブラハムたちの心あるいは信仰を推測して、天の故郷を待ち望んでいたと書いたのか、それとも聖書にはない伝承に基づいているのかは分かりません。こういう聖書解釈は、現代人には理解しにくい解釈に思えます。
  • 今日の段落の最初に、信仰の定義みたいな文章があります。これは大切な文だと思います。信仰者は神の約束を信じ、その約束が実現することをかたく信じます。そのことが信仰とは望んでいる事柄を信じ、見えない事実を確認することですと表現しています。私たちが信仰によって義とされることも、永遠の命を与えられることも、皆神の約束であり、この約束は実現するという前提に私たちは立ちます。信仰とは望んでいる事柄を信じること、信仰の要点です。
  • アブラハムたちが、天の故郷を「はるかにそれを見て喜び」とあるのが印象的です。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)10節。天の都の設計者、建設者であり、信仰者をここに招き入れる方です。
  • (御父)天の都(天の故郷)を待望する者を、恥とされない方。神さまは道徳的に不十分なものよりも神の約束を信じない者を恥とする方と言い換えることもできます。
  • (御父)11節。神は約束を守る真実な方です。
☆神が求める私たちの生き方
  • (教え)1節。信仰とは、神の約束を信じることです。
  • (模範)天の故郷を待望するアブラハムたちは、模範です。私たちもまた天の故郷を熱望する者です。
  • (励まし)16節。神さまは、神の約束を信じる者を恥とされません。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、1節で信仰とは何であるかを教えられます。大切なことだと思います。信仰とは神さまの約束を信じることと理解し、神様の約束を信じて歩んできました。約束をもって私たちを導いてくださるあなたを心から讃美します。
  • 創世記には、アブラハムが天の故郷を熱望していたとの記述はありません。この手紙の著者は、アブラハムを信仰の模範として描いているのでしょうか。天の故郷、それは神の国であり、神の国に入れられることが救いです。この天の故郷を待ち望むことは私の個人的な課題としていることです。積極的に待ち望む、熱望する思いが私には弱いのです。天の故郷、神の国、そこは救いの完成です。私たちが死んだら迎えられる場所という意味もありますが、何よりもそこにおいて救いが完成します。ところが救いが完成するという理解より、死んだら迎えられるところというイメージが強いために、熱望することが少ないのではないか、と思わされます。
  • 昨日は無牧のH教会の礼拝に奉仕をしました。「この世を去るときの希望」と題して説教を行いました。寿命が尽きて仕方なく死ぬのではなく、神の国に迎えられることを信じ、積極的に死を受け入れたいと願うこと、そのためにどうしたらよいか、について語りました。その説教では、神の国に迎えられたときの私たちのイメージを聖書から教えられ、それを自分の人生のゴールしすれば、喜んで死を迎えられると話しました。でも今、神の国に迎えられたとき救いが完成することを伝えた方がよかったのではないかと思いました。でも救いの完成と言っても、抽象的、漠然とした面もありますね。
  • 今日は、神の国を積極的に熱望する者へ変えてくださいと祈りたいと思いました。聖書の理解を深めることによって熱望する者になるのではないかと考え、聖書を読み思いめぐらしますが、信仰は賜物という面もあります。神さまが私を変えてくださることを願います。
  • 私自身は、神の国に迎えられたら主イエスに会うことができる、それを信仰の人生のゴールにしたいと思っています。主イエスにお会いする、それが私にとっての救いの完成ということができるかもしれません。神の国を熱望する者にしてください。
  • そこで、ふっと今思ったことは、『讃美歌』の中で、「天国」に分類されている讃美歌で「イエス様に会う」ことを歌詞にしている讃美歌があるか調べてみたいと思いました。アブラハムたちが、天の故郷をはるかにこれを見て喜んだとあるように、讃美歌を歌い、主イエスとお会いすることを喜びたいと思いました。私も天の故郷を待ち望むものであることを言い表したいと思います。
  • またヘブライ人への手紙の著者が、アブラハムが天の故郷を待ち望んでいたと解釈しましたが、どうしてそういう解釈が出来たのか、注解書を読んでみたいと思いました。
(与えられた導き)
  • 天の故郷を熱望する者にしてくださいと祈る。
  • 讃美歌を調べる。
  • 注解書を読む。

 

(実践)

イエスが出てくる讃美歌は、481、483、490

僕が歌えるのは490。教会の葬儀でもよく賛美した曲でした。

 

あまつみくには いとたのし
きよきともがら うちつどい
笑みよろこびて すくいの君の
イエスの功を ほめうたう
 
うたがいまよい ためらわで
たのしきくにへ すすみゆけ
つみきよまりて イエスの御側に
住むたのしみは かぎりなし
 
ちちのみもとの まじわりは
したしみながく 愛ふかし
かみのこどもよ 勉(つと)めはげみて
あまつみくにを 嗣(つ)げよかし