ルカ福音書 9章21~27節

2018年6月11日

(内容)

  • 前の段落で、ペトロはイエス様をどのような方として信じるのか、告白しました。するとイエス様は弟子たちに、自分の死と復活について語り、さらにご自分についてくるように語られました。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)22節。イエス様はご自分の死と復活をご存じであり、またそれを受け入れておられます。
  • (御子)23節。イエス様は弟子たちに、そして私たちに「わたしについて来たいか」と問いかける方です。
☆神が求める私たちの生き方
  • (命令)23節。「わたしについて来たいかどうか」とのイエス様の問いに、私たちは答える必要がある。
  • (教え)23節。自分を捨て、自分の十字架を背負うことをイエス様は、求められる。
  • 自分を捨てるとはどういうことか。第一にイエス様のために自分の生活・人生を献げることと解釈できる。宣教師、牧師はその典型例。信徒でも、教会の奉仕のために自分の時間を献げることもここに含まれるだろう。自分の何かを犠牲にしてそれをイエス様(神)に与えるのである。
  • 第二の解釈は、考え方の転換である。御言葉によって立つ生き方への転換。御言葉に基づいて考え、生きる生き方への転換。御言葉に服する生き方への転換。しかも自分が納得した上で御言葉に服する生き方。すなわち自分のアイデンティティーの転換。古い自分を捨て、新しい自分に生きることになる。これは聖霊に導かれての歩みとなる。
  • 人は問題が起きると、まず自分でどうするか考える。次に人に相談する。それでも答えが出ないと、神さまに相談する。聖書を読む。この順序を逆にする。まず、それについて聖書はどう言っているのか、聖書に聞いて聖書から答えをいただいて生きるように御言葉に生きるとのアイデンティティを持つこと。
  • 自分の十字架を背負うとは、人生で誰にも起こりうる苦しみを意味すると考えることができる。でもそれ以上に、イエス様について行くとき、受ける不利益、苦しみ、苦難を引き受けることを意味する。殉教の死も含む。十字架を背負うとき、神が共にいて導いてくださるとの信仰がある。
  • (教え)24節。イエス様のために自分の命を捨てる者はそれを得る。自分の命を得ようとする者はこれを失う。これは逆説的な教えである。
  • イエス様は「わたしにつまずかない者は幸いである」とも教えている。信仰が働かないと、この逆説的なイエス様の教えを受け入れることはむずかしい。
  • (教え)25節。イエス様の語ったことはもっともに思える。しかし、全世界を手に入れてそのまま死んだ人はどうなるのか。身を滅ぼすどころか、栄誉、成功に包まれて死ぬのである。それゆえ、ここでは「自分の身を滅ぼす、失う」は最後の審判を指していると考えられる。
  • (警告)26節。イエス様とイエス様の言葉を恥じる人は、終わりの日に、イエス様が恥じる人となる。
  • イエス様について行かない人は、最後の審判で、イエス様が恥じる人となる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、イエス様の教えの中でもとても厳粛な教えを読みました。若い日に信仰を与えられ、イエス様について行く道を選びました。そして伝道者となる召しも与えられ、牧師として歩んできました。その歩みの中で、御言葉に服する歩みへと導かれました。御言葉によって立ち生きる人間へとアイデンティティーを転換できました。感謝なことです。殉教という試練には出会いませんでした。苦しみには幾度も遭いましたが、あなたに従う道を歩み続けることができたことを感謝します。
  • 自分の命を救おうと思う者はとありますが、それを失うとあります。私は自分の命を救おうとして空しさを感じ、自分を捨てるイエス様の生き方に驚きを覚え、そこにこそ、真の生き甲斐、生きる意味があるのではないかと考えて信仰に入りました。今でもその時の決断を悔いることはありませんし、その決断をしてよかったと思っています。感謝しかありません。主なる神、あなたを讃えます。このことのゆえにいくらあなたを讃えても、十分ということはありませんね。
  • 天の父、私たちの祈りを分析すると感謝の言葉は多いのですが、あなたを讃える言葉は少ないのです。なぜ少ないのか、との疑問はあります。私自身は、あなたをたたえる言葉を真実に、そして感謝の言葉と同等に語りたいとの思いがあり、それを求めてきました。私にとって、イエス様に救われ、イエス様に従う道を歩んだことからすべてが始まりました。それは今日まで至っています。ということは、自分の救いをいつも感謝しあなたを讃えていく、その祈りが一番大切であると思いました。
  • 天の父なる神、いつもあなたの救いを新しい心で感謝し讃えることができますように。そしてイエス様について行く歩みを生涯の終わりまで全うできるように導いてください。今日は、午後散歩に出かけます。歩きながら、あなたの救いを感謝し、あなたをたたえる祈りをすることにします。
☆与えられた導き
  • 神さまに対して救いの感謝の祈りと神さまをたたえる祈りをする。