ルカ福音書 9章10~17節

2018年6月7日

(内容)

  • イエス様は御自分の後をついて来た人々を迎え、神の国の福音を語り、また治療の必要な人々をいやされた。日が傾きかけたので、弟子たちは群衆を解散させ、群衆めいめいに食事を取らせるようにとイエス様に語った。しかしイエス様は、弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われた。群衆の人数はあまりにも多く、それは無理だと弟子たちが答えると、イエス様は弟子たちがもっている五つのパンと二匹の魚を取り、祈り、それを裂いて弟子たちに配らせた。すると群衆は皆満腹した。

(黙想)

  • これは不思議な物語である。病気のいやし以上に不思議である。無からの創造を考えなければ、あり得ない話しとなる。今回これを読んで、比喩的に解釈することにした。イエス様が弟子たちを通して分け与えたもの、それは神の言葉である。神の言葉はイエス様が語るもの。弟子たちはそれを聞いて、神の言葉を語る者となる。9章の最初で弟子たちはイエス様に遣わされ、福音を告げ知らせている。その続きとして、群衆にパンを与え群衆は満足したとの物語が続いている。
  • 弟子たちはイエス様から聞いた福音を告げ知らせる者となり、それを群衆に語るのである。そして福音、神の言葉は人を満ちたらせるのである。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)13節。御子は弟子たちに食べ物を与えるように命じる方。言い換えれば、神の言葉を告げ知らせるよう弟子たちに命じる方。
☆神が求める私たちの生き方
  • (教え)17節。神の言葉は、人を満ち足らせる。
  • 人は幸せを求めて生きる。さまよう。人の心を真に満足させるのは神の言葉であると聖書は教えている。宗教改革者のルターは『キリスト者の自由』のなかで次のように語っているのを思い出す。「私たちは、魂は神の言葉以外の何がなくても存在しうるが、もし神の言葉がなかったら、他の何かでそれを補うことはできないと確信しなければならない」。
  • 僕はディボーションを知り、これを行い、ルターの言葉が真理であると実感している。クリスチャンですら、このことを知らずに生きている人が少なくない。神の言葉、聖書の教えを信仰者に対する教え、規範と考えて、信仰者はこれに従わなければならないとの律法主義が教会の中にある。
  • そうではないのだ。神の言葉は、神さまからの愛の贈り物、人間を生かすものだ。これに生きるためには、アダムの罪、つまり自分の考えを神の教えの上におく罪を悔い改めなければならない。「聖書はそう言うけど」という言葉は神に対する反抗の言葉である。でも多くの信仰者が言うので、人はそれが反抗であることに気がつかない。
  • (命令)13節。イエス様は弟子たちに、神の言葉を告げ知らせるように命じられる。
  • 私たちは神の言葉によって生きる幸いを証しし、伝える使命を与えられている。そのためには何よりも、自分自身が神の言葉によって満ち足りていることが必要となる。そうでなければ伝えることはむずかしい。私たちは自分の魂が満ち足りているかどうか、自己吟味しなければならない。神の言葉以外のものによって心を満たそうとしていないだろうか。神の言葉によって満ち足りていれば、自ずと証しが生じ、伝道ができる。伝道は恵みとなる。
  • 伝道が困難であると言われているが、伝道が困難なのではない。伝道できるように整えられていないのではないか。つまり神の言葉によって魂が満ち足りるなら、伝道は自ずと行える。僕はそう信じている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、あなたは私を導いてくださり、ディボーション、聖書の言葉によって生きる方法を教えてくださいました。あなたの顧みの中に自分がおかれていることを感謝します。そしてあなたの顧みをこうして確認することができたことも感謝します。日々聖書を読み、思いめぐらし、あなたの導きをいただいて歩むことの幸いを思います。心は満ち足ります。このようにして私を導き生かしてくださる神さまをほめたたえます。
  • あなたは『御言葉に生きるための提案』というサイトを作るように導いてくださいました。牧師職を引退した今も、デボーションをし、聖書に親しむ毎日を送ることができることは感謝ですし、御言葉によって生きることの証しができることを幸いに思っています。神の言葉によってこそ、魂が満ち足りることを多くの人に伝えることができたらと願います。
  • 祈祷会で、教会員の消息が語られました。老いを生きるとき、さまざまな困難に直面することを知らされます。祈りの課題も与えられます。一人一人が老いの中にあって、信仰に立ち続けることができるように、あなたと共に歩み、困難の中にあっても平安があるようにと祈らされます。私自身の老いを生きることとなりました。人は老いの中にあって、どのように御言葉によって生きるのか、私自身、チャレンジしていることになります。このチャレンジを導き、祝福してください。日々のディボーションを充実させてください。
  • 老いの中にある人たちが、神の言葉によって、困難の中にあっても平安を与えられ、力が与えられ、神さまの感謝し、神さまを讃えることができるようにと祈ります。祈祷会で消息を聞いた人たちのことを今一度覚えて祈ります。
☆与えられた導き
  • 祈祷会で消息を聞いた人たちを覚えて祈る。老いの中にあって課題や重荷を負っている人たちが御言葉によって励まし、慰め、力を受けることができるように祈る。