ルカ福音書 7章11~17節

2018年5月8日

(内容)

  • 一人息子が死に葬儀に向かう母親(かのじょはやもめ)を見て、イエス様は彼女を憐れみ、息子を生き返らせました。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)13節。たった一人の息子が死んで悲しんでいるやもめを憐れまれました。悲嘆の中にいる人をイエス様は憐れむお方です。
  • (御子)15節。イエス様は使者を生き返らせることができるお方です。人間の常識を越えることを行うことができるお方です。人類の救いのために十字架で死ぬというのも、人間の常識を越えたことです。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、主イエスは憐れみ深い方であることを感謝します。そして息子の死を嘆き悲しむ女性を憐れみ、息子を生き返らせました。人は誰しも死にますが、普通は年齢的な順序があります。それが逆になることは辛いことです。それで主イエスは、やもめの一人息子を生き返らせました。
  • 主イエスは、彼女の一人息子を生き返らせました。主イエスは死を支配する力をお持ちの方ですね。後日主イエスは、十字架の上で亡くなりましたが、あなたは主イエスを復活させました。あなたは死者を生き返らせるだけでなく、私たちを二度と死ぬことのない者へ復活させることがおできになることをあらためて確認させられ、うれしく思うものです。
  • 昨日、昔録画したドラマを見ました。以前見たときは気づかなかったことがありました。定年を迎える男性の台詞です。彼が朝の出社の出会い頭に隣家の男性にした挨拶の言葉です。「今週定年を迎えます」。「定年ですか」。「後は他界です」。「タカイ?ああ」。年を取ると人は自分の生涯の終わりを意識するものですね。「後は他界です」の台詞には共感を覚え、笑ってしまいました。
  • 私自身も牧師を引退したとき、次に自分を待っているのは、己の死であると意識しました。私たちには神の国の希望が与えられています。「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と聖書にあります。天の父、御言葉にそのように書かれていますが、確信することは簡単なことではありません。牧師として説教していたとき、「信仰とは望んでいる事柄を確信することです」と語ってきました。ある老信仰者が「神の国の希望は、信じるしかない」と話されたことが心に残っています。説教者としての責任を痛切に感じました。「信じるしかない」ではなく、「喜んで信じています」と教会員に語らせるのが牧師の務めですね。力不足を思います。
  • 私自身、喜んで信じたいと願います。喜んで信じることができるにはどうしたらよいかを考えています。答えが出れば、多くの人に伝えたいです。喜んで信じることができるよう、幼子のように素直に信じる信仰を与えてくださいと祈りもしました。
  • 今日のような聖書、死を越える希望を伝える聖書の言葉に出会うとき確信が強められていくように思いました。「信じていいよ」「信じていいよ」と繰り返し波のごとく押し寄せる御言葉を聞く中で確信が確かなものにされていくのではないかと思いました。ここにも聖書に親しむ理由がありますね。聖書に親しむことの恵みを与えられ感謝です。今日はこの思いを短歌にしてみたいと思いました。

☆与えられた導き

・死を越える希望の確信を歌にしてみる。

確信は 神の言葉の 繰り返し
塗り重ねられ できる漆器か

私は漆器が好きなのです。