ルカ福音書 5章33~39節

2018年4月18日

(内容)

  • ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々が断食をしているのに、あなたの弟子たちはなぜ断食をしないのか、とイエス様は人々から尋ねられました。イエス様は断食は花婿が取られる悲しい時にすること、および新しい酒は新しい革袋に入れるべきことを教えられました。また人は新しいものより古いぶどう酒を好むとも言われました。

(黙想)

  • ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々は宗教上の慣習として断食を行っていましたが、イエス様の弟子たちは行っていませんでした。イエス様は慣習的に行われていることを「すべきこと」とは考えていないように見えます。つまり断食は何のためにどういう時にすべきかを考えておられます。単なる敬虔な行為として行うとの考えは持っておられません。
  • 「今までしてきたから」という理由で行っていることがあります。教会の活動の中にもあります。それをすることにどんな意味があるのかと考えないし、意味を持たせるにはどうしたらよいかを考えない、つまりマンネリになっていることがあります。
  • イエス様は弟子たちに断食をさせません。マンネリ化した宗教儀式に意味を見出せないからです。しかし今までしてきたことをやめることには決断が必要です。なぜやめたのか、との批判を受ける可能性があるからです。
  • 新しいぶどう酒は古い革袋には入れないとの言葉は、イエス様は信仰上、大きな改革、刷新を行おうとしていることを意味します。イエス様の行動は、律法学者やファリサイ派の人々から見れば律法違反に見えます。イエス様は非難されることになります。しかしイエス様は、律法の持つ本来の意味を考えておられます。その意味を考えず、文字通りに従って満足するあり方をイエス様は批判されます。
  • 宗教上の儀式を守ることが信仰なのではありません。神の御心がどこにあるのかを忘れてはならないとイエス様は考えておられます。守ることを優先し、もっと大切なこと、神の御心を見失う独善をイエス様は批判します。
  • 断食問答はマタイもマルコも書いていますが、ルカだけが書いている言葉があります。それは「古いぶどう酒を飲めば、誰も新しいものを欲しがらない」です。人は自分を変えることを好まないものだと教えておられます。
  • イエス様は神の国の福音を宣べ伝えられました。神の御支配の下に生きるという、新しい事態、恵みの生活へと人々を招きました。しかし人々は新しいぶどう酒より古いぶどう酒を好み、イエス様を拒みました。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か

(御子)御子イエス様は、慣習・形式化した律法遵守には従わない方です。
(御子)御子イエス様は新しいぶどう酒としておいでになり、神の国の福音を宣べ伝えられた方です。

☆神が求める私たちの生き方

(教え)新しいぶどう酒を入れる新しい革袋になること。新しいものに心を開く姿勢は大切です。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、律法学者やファリサイ派の人々から見ると、イエス様の言動は理解しがたいものでした。それは彼らの物者の味方、考え方の枠には入らなかったからです。イエス様は神の国の福音を宣べ伝え、解放・自由・回復をもたらす神の恵みを宣べ伝えました。
  • 律法学者やファリサイ派の人々は、自分の考え・立場を固定化し絶対化し、新しいことに心を閉ざしています。彼らの信仰生活は儀式化し、形式化して命を失っていきました。習慣化した宗教的営みは敬虔な行為として自己満足をもたらしてくれますが、それだけのものであり、その信仰は命を失ったものとなってしまいます。
  • 「古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない」とのイエス様は語り、人は容易には新しいものに心を開かない傾向のあることを教えています。
  • かつて私はディボーションという聖書の読み方、御言葉によって生きる歩みを教会の中で紹介し、それを実践する訓練をしてきました。関心を示して訓練を受けた人もいれば、関心を示さない人もいました。また牧師会でも牧師同士のディボーションの分かち合いの会を紹介したとき、関心を示してもらえなかったことを思い出します。
  • 新しいものはなかなか受け入れてもらえないと感じてきました。ふと思いました。自分の中に“渇き”がなければ、人は新しいものに関心を示さないし、“渇き”があれば渇きを癒やそうと新しいものに目を向けることを。かつての私は“渇き”があったので、ディボーションに関心を寄せ、これを修得したいと願ったことでした。
  • 渇きを覚えなければ、人は水を飲みに行きたいとは思いませんね。自分が渇いていることに気づいていないこともありますね。旧約聖書のアモス書には“み言葉を聞くことの飢饉”が語られています。
  • 今日は、このサイトの充実および御言葉に渇いている人がこのサイトに出会い、自ら聖書を読み、御言葉によって歩むことができるようになることを祈ることとします。

☆与えられた導き

  • サイトの充実を祈り、自分のディボーションの充実を祈る。
  • 御言葉に渇いている人がこのサイトに出会うように祈る。