ヘブライ人への手紙4章14~16節

2017年12月29日

(内容)

神の子イエスは偉大な大祭司であり、私たちの弱さに同情できない方ではなく、むしろ憐れんでくださる方なので、助けをいただくために、この方の前に出よう。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)14節。御子は大祭司として私たちのために執り成しをしてくださる方である。
  • (御子)15節。御子は私たちの弱さに同情してくださる方である。
  • (御子)15節。御子は、私たちが直面する試練をご自身経験された方である。
  • (御子)16節。御子は憐れみと恵みに富むお方である。
☆神が求める私たちの生き方
  • (勧め)16節。必要とする助けを主イエスに求めるべく、祈りをもって主の御前に近づこう。
    主イエスは私たちの弱さを知り、私たちを顧みてくださるお方であり、試練に遭っている者の気持ちを分かってくださる方である。自分のような者が主の御前に出ることができるわけはない、と卑下することなく、むしろ大胆に主のもとに行き、助けをいただこう。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、主イエスはあらゆる点において私たちと同様に試練に遭われました。そして主は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、むしろ憐れみと恵みをもって助けてくださる方であると教えられ、感謝します。
  • 今の時にふさわしい助けを求めなさいと勧められました。自分はどんな助けを必要としているのか、自分の心を探ります。日々の生活のための必要は満たされており、感謝です。霊的な助けを私は必要としていると思わされました。
  • 先日ある本を読みました。その中で、ルターも親鸞も死後の自分の行方を知っており、そこに迎えられることを喜びとしていると指摘します。ルターは神の国、親鸞は浄土という自分の行き先を喜びとしていると指摘します。しかし二人とも自分の死を喜べないでいると指摘しています。印象的でした。
  • 死は神の国、浄土へ行くための通過点、扉なのに、そしてその向こうは好ましきところなのに、その通過点を通ること、つまり自分の死を喜べないでいると書かれていました。偉大な信仰者でもそうなのかと思いました。私もまた同じ思いでしたので、そういうものなのだと思っていました。しかし今日の聖書には、助けを求めて恵みの座に近づこうとありました。神さまが私をみ国に召される時には喜べる心になりたいと願います。喜べる心にしてください、と祈ります。あなたがどう導いてくださるのか、楽しみにします。
  • 天の父なる神さま、福音を宣べ伝えるべくあなたに召された者としても助けを与えられたいと思いました。キリスト教の人口は多いですが、信仰が形式化、儀礼化しているのではないかとの危惧を抱いています。ヨーロッパでは礼拝に出席する人が激減していると聞きます。某国の大統領の発言を聞いていて、この人がクリスチャンであるとは到底思えない現実に直面します。御言葉によって生きるという信仰が失われ、信仰が一種の習俗に堕してしまっている危惧を抱いています。御言葉によって生きることの大切さを思います。このことのゆえに、わたしはインターネット上に新しいサイトを開設しました。このサイトをあなたが用いてくださることを願います。どうかデボーションを行う信仰者が一人でも増えますように、デボーションを行う牧師が一人でも増えますように、御言葉によって生きる信仰者がいよいよ増し加えられますように、神さま助けてください。
(与えられた導き)
  • 自分の死を喜べる心を祈り求める。
  • 御言葉によって生きる人が増えるように、神の導き、助けを求める。