ローマ 8章1~4節 罪は御子において裁かれた
2024年6月3日
(内容)
- 神は御子を世に遣わし、御子において罪を処罰した。御子の十字架において、人間が犯した罪をすべて罰した。御子がその罰をその身に負われた。
(黙想)
- 「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを神はしてくださった」。律法は、信仰者に神の戒めを提示し、これを守りなさいと命じる。しかし人は、守ることができない。律法はそれを守る力を守ろうとする人に与えない。なぜ人は律法を守ることができないのか。それは肉の弱さのためとある。罪は、肉の弱さにつけ込み、律法を行わせないのである。
- このことは、ロマ書の7章で語られている。
7:14 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。
7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。
7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
- 律法を行おうとする意志はあっても、罪が働きかけ、律法を行わせないのである。私の中に罪が住んでいて、私は罪に奴隷として売り渡されていて、罪の支配下にあり、律法を守ることができない。律法に仕える者の特徴がここにある。
- 現実のキリスト者には二つのタイプがある。自分が律法から解放されていると知っている人と知らない人である。
- 知らない人は、律法を守らなければならないと考える。律法に仕える人である。この人は律法を守ろうとする。でも肉の弱さのゆえに罪に支配されているために、律法を守ることができない。律法を守ろうとする意志はあっても、守れないのである。これは多くのキリスト者が経験することである。
- 自分が律法から解放されていると知っているキリスト者は、聖霊の導きによって律法を守ることができる。
- 神は肉の弱さのために律法がなしえなかったことをしてくださった。神はキリスト者が律法を守ることができるようにしてくださったのである。どのようにしてか。それは御子を人間としてこの世に送ることによってである。御子は罪深い肉と同じ姿となられた。罪を犯す人間と同じ姿となられたのである。
- 罪深い肉を持つ人間は罪を犯し、罪のゆえに、神に裁かれる者となった。その罪に対する裁きを御子は十字架の上で、受けられた。「罪を罪として処断された」とは、わかりにくい表現であるが、御子が十字架の上で、罪に対する神の裁きを受けられたことを意味する。人間が犯したすべての罪は十字架の御子において、神に裁かれたのである。
- それゆえ、人は犯した罪に対する裁きを受けない者となった。御子が自分の代わりに裁きを受けて下さったからである。キリスト者はこのことを信じる。
- 律法は、律法を守りなさいと人に命じる。律法は、私を守らなければ罪を犯したことになり、神の裁きを受けることになりますよと語る。しかしこの神の裁きを御子が十字架の上で受けられたので、御子を信じる人は、「私を守りなさい。さもないと裁きを受けます」と命じる律法の声を聞かなくてよいものとなった。律法から解放されたのである。律法は、守れ、さもないと罰を受けるぞと迫るかも知れないが、その罰は御子がすべて負ってくださったのである。キリスト者は律法から解放されたのである。
- 律法から解放されたことは、律法を守らなくてよいということではない。律法を守らなければ神の裁きを受けるぞという律法の警告、あるいは脅しから解放されたのである。この裁きを恐れ、律法を守らなければならないという思いが信仰者に生じるが、この思いから解放されるのである。
- 律法から解放されたことは律法を守らなくてよいと言うことではない。律法は守りなさいと命じるが、守る力は与えない。神は別な方法で、キリスト者に律法を守る力を与えてくださるのである。
- 律法は、私を守りなさい、守らないと神の裁きを受けますよ、と警告する。しかしキリストが十字架で、人が犯す罪に対する神の裁きを受けて下さったので、「私を守らないと神の裁きを受けますよ」との律法の脅しは通用しなくなった。このような脅しからキリスト者は解放されたのである。まずこのことを信じることが大切。
- もし律法を守らなければならないと考えるなら、なぜそう考えるのか、自分に問う必要がある。パウロはこのような態度を神の律法に仕えると書く(7:25)。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>父なる神は、御子を人と同じ姿にしてこの世に送られ、御子を十字架につけ、罪の贖いのみわざをなさった。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>御子を信じる者は、罪に対する神の裁きを受けなくなったことを喜び、感謝する。
- <教え>律法を守らなければならないと考える必要がなくなった。律法を守らなければならないと考えるのは、守らない時に与えられる神の裁きを恐れるからである。神の裁きを恐れるから、守らなくてはならないと考える。しかしその必要はなくなった。キリストが信仰者の代わりに裁きを受けて下さったからである。
- <勧め>キリスト者は律法の下にはいない。律法から解放された。律法を守らなければならないと考える必要はなくなった。守らなければならないという思いから解放された。
- <勧め>守らなければならないという思いから解放された自由を味わうこと。神は律法を守ることができるようにしてくださったことを信じること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、かつて、律法を守らなければならない、しかし守ることができない、私は何と惨めな信仰者なのか、とみじめさを味わったことがありますが、キリストの贖いの意義を知り、律法から解放されたことを知りました。律法を守らなければならないという思いから解放された自由を味わいました。
- その上で、あなたが律法を守る力を与えてくださることを知りました。そして今は、聖霊の導きを得て、守る努力のできていることをうれしく思う者です。でもこのあなたの救い、恵みを知らない人が沢山います。多くの信仰者は、罪を犯すけどキリストによる救いを受けることができ感謝と言います。
- パウロは、赦しの恵みを受けるために罪を犯そうと考える人たちに6章で、私たちは罪の中に生きることができないとていねいに説明をしています。少なからぬキリスト者は罪を犯しても赦しの恵みにあずかることができるから感謝と考えていて、罪の中にある自分に対して疑問を持たない現実があります。これを何とかしたいです。でもどうしたら良いのかは、分かりません。罪の支配は強烈です。
- どうしたらいいのか、あなたの導き、助けを祈ります。私は福音を宣べ伝えるために召されたのですから。
☆与えられた導き
- 罪の支配下にあるキリスト者を救うにはどうしたら良いのか、導きと助けを神に祈る。