ローマ 5章21節(1) 罪の支配
2023年5月3日
(内容)
- 罪は死によって支配する。
(黙想)
- パウロは5章12節以降で、人類はアダムにつながる者とキリストにつながる者に分かれると書いてきた。人は皆、アダムにつながる者として生まれ、罪を犯し、死ぬ者となった。しかしイエス・キリストを信じ、キリストにつながる者には、義の賜物が与えられ、命を得ることになった。
- 21節もまたアダムとキリストの対比がなされるが、これまで語ってきたことの結論に思える。罪が死によって支配するという。
- アダムとエバは罪を犯した後、神が近づいてきた時、身を隠した。恐れを抱いたからである。罪を犯す前は、神が近づいても恐れは抱かなかった。恐れという感情は、罪を犯す者が抱くもので、人は恐れに縛られ、さらに罪を犯すようになる。
- 相手に恐れを与えれば、こちらの意のままに相手を動かすことができる。独裁的権力者は、このように考える。
- 21節では恵みと罪の対比がなされ、罪は死によって支配し、恵みは義によって支配するとある。罪は恐れによって支配し、恵みは義によって、つまり平和によって支配すると考えてよいのではないか。
- 死は死の恐れを与える。この恐れを乗り越えるのは簡単ではない。人は命の危険に対する恐れ、失敗することの恐れ、人からどう思われるかの恐れなど、色々な恐れに捕らわれる。人は恐れに縛られた生き方をするようになる。恐れは私たちを神から離れさせようとする。そして罪へと導く。
- 自分の信仰の歩みを振り返ると、色々な恐れに捕らわれ、その恐れから自由にされる歩みをしてきたことを思う。この自由は、信仰によって与えられたものであり、恵みとして与えられたということができる。神が共にいてくださる、それが恐れからの自由、平安の根拠である。
- 世の多くの人は、恐れを抱きながら生きている。それが人生だと思っている。「恐れるな」と神は語る。
- ストーカーに対する恐れ、家庭内暴力による恐れなど、適切な対策を必要とする恐れもある。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>恐れに捕らわれることは恥ではない。「恐れるな」と言ってくださる方のもとへ行くことが大切だ。
- <教え>キリストの福音は、私たちを罪や恐れから自由にする。義とされた者は、神との間に平和を得る。この平和が私たちを自由にする。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。私の歩みを振り返る時、恐れからの自由を与えられたことを思います。あなたの導きを感謝します。
- 年をとって生きるとは、あなたから与えられた恵みを感謝して生きることではないかと思いました。そしてこの感謝を証しとして伝えることも大切だと思いました。
- 今日は、私はどんな恐れを抱いたのか、人生を振り返ってみたいと思います。そしてあなたに感謝をささげたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- 人生を振り返る。
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死の恐怖。幼い頃、身近な人が死んだ。たぶん祖母。幼くて死んだのが誰かは明確に覚えていない。この恐れから解放されるまで、入信、永遠の命を信じる、み言葉を信じるなど、いくつかの段階を経て恐れから解放されたことを思う。
失敗への恐れ。牧師になって自分の能力の貧しさを知ると同時に、人から批判されないようにきちんと務めを果たさなければならないと考え、失敗しないようにと考えると、どうしていいか分からなくなった。
力の強い人に立ち向かうときの恐れ。問題を抱えた人を助けるために、行動を起こそうとするときに感じる緊張と恐れ。
自分の弱さを認め、失敗してもよいと考え、できることをすればよいと考えるようになった。要は、神さまに従う歩みをすれば良い。