マタイ福音書 3章7~12節 ヨハネの後からくる方
2023年5月4日
(内容)
- 洗礼者ヨハネは、自分の後から来る方は自分よりも優れており、聖霊と火で洗礼を授けると教えた。
(黙想)
- 洗礼者ヨハネの教えは、悔い改めて悔い改めにふさわしい実を結べ、である。これは旧約の預言者たちのメッセージと同じと考えることができる。
- 悔い改めが必要な理由として、神の裁きの時が迫っているとある。7節には「差し迫った神の怒り」とある。それで多くの人々がヨハネのもとに来て洗礼を受けた。ファリサイ派の人やサドカイ派の人も来たとある。神の裁きの切迫性がヨハネのメッセージにはあった。
- ヨハネは自分より後から来る方は自分より優れていると語った。ヨハネは水で洗礼を授けるが、後から来る者は聖霊と火で洗礼を授けるという。ここに違いがあり、後から来る者のすぐれた点があることになる。水の洗礼と聖霊による洗礼の違い。
- 火による洗礼は、意味が分かりにくい。後から来る者も、裁きを行うことが書かれている。脱穀場のたとえをヨハネは語り、役に立つ麦は、倉に収められるが、殻(から)は燃やされてしまうとある。聖霊の洗礼を受ける者は、救われ、受けない者は滅びるという意味合いがあるように見える。
- ヨハネの水による洗礼は、人に行動の変化を促す。つまり悔い改めて、悔い改めの実を結ぶように促す。これは人間の力による努力である。しかし聖霊で洗礼を受けた者は、聖霊の賜物を与えられ、聖霊の働きにより、その人の行動は変わる。神の恵みによって生き方が変えられる。ここに後から来る者のすぐれた点が見出せる。
- しかしマタイ福音書には、イエスのすぐれた点がどのように描かれているのだろうか。権威ある教えと力ある業。権威ある教えでも、それが教えである限り、人を変える力はないだろう。人を変える力は別のところにある。
- 主イエスの力ある業は、神の御支配の証しであるが、我々の生活でこのような奇跡が起きるわけではない。イエスのすぐれた点はどのように福音書の中で描かれているのだろうか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
<御子>御子は聖霊と火で洗礼を授ける方
<御子>ヨハネより優れた方
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。心に留まったのは、ヨハネは自分の後からくる方は自分よりもすぐれた方であると語ったことです。ヨハネの後からくる方は主イエスです。主イエスがすぐれている点をマタイはどのように描いているのか、気になりました。
- 主イエスが権威ある教えをしたことでしょうか。奇跡など力ある業を行ったことでしょうか。それとも何か他のことがあるのでしょうか。
- マタイ福音書を通読して、主イエスのすぐれた点についてどのように描かれているのか、確認してみたいと思います。
☆与えられた導き
- マタイ福音書を通読する。