ローマ 8章1~4節 罪と死の法則から解放
2024年5月24日
(内容)
- キリスト・イエスによって罪と死の法則からキリスト者は解放された。罪の支配から解放させ、自分が善を行うことができるように成った。
(黙想)
- 1節は、5章の終わりに続く。6、7章は挿入部分である。しかしこの挿入部分を踏まえて、2節がある。つまり信仰によって義とされることが恵みであるとすると、そこから疑問が生じる。パウロは、6章と7章でそれらの疑問に答えた。信仰によって、恵みによって義とされるとは、決して律法をないがしろにしないし、罪から解放されて生きることであると語った。
- この2節は、罪から解放されたことの確認である。
- 日本語訳では、7章の終わりの部分から「法則」という言葉が繰り返される。
7:20~21
もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
- 私たちの中に住んでいる罪のために、わたしは自分が望む善を行うことができないと語る。善をなそうと思ってもそれができないという現実がある。それは「悪がつきまとっているという法則」のせいだと書く。
7:23
わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
- 心の法則は、「わたしが善を行いたいと考え、善を行おうとする」ことを指す。「もう一つの法則」と「罪の法則」が出てくるが、内容は同じである。共に心の法則と戦い、結果的に、わたしに自分が願う善を行わせないのである。
- この箇所には、三つの法則が出てくる。
- 「善をなそうと思う自分にはいつも悪がつきまとっているという法則」
- 「わたしの五体にはもう一つの法則」
- 「罪の法則」
- 三つの法則は内容的には同じで、わたしが善が行おうとしても、それを妨げる力、現実があることを「罪の法則」と書く。
- 8章の2節には、「罪と死の法則」という言葉がある。あなたがたはこの法則から解放されたとあるので、これは7章最後の「罪の法則」と同じと考えることができる。しかし「罪と死の法則」とある。
- 「死の法則」が追加されていることになる。
- 死の法則。これについては、次の聖句。
7:10~11
わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。
- 掟、つまり神の掟はわたしを死に導く。でもそれは、罪が掟を利用して、わたしを殺したのである。「罪と死の法則」とは、罪がわたしに善を行わせないこと、そして罪が掟を利用しわたしに罪を犯させ、わたしに死をもたらしたことを語る。
- そこに、キリスト・イエスによっていのちをもたらす霊の法則が登場し、あなたがたを罪と死の法則から解放した。霊の法則とは、キリスト・イエスに結ばれ、新しい命に生きることができるようにされたことである。罪と死の法則から解放されたのだから、罪の中に留まるはずがなく、いまや罪に定められることはない。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>キリスト者は、罪と死の法則から解放された。善、神の掟を行うことができるようになった。善を行おうとしても実行できないみじめさから解放された。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、パウロが語る真理を理解できたことを感謝します。私たちは罪から解放され、神の掟を実行できる者とされたことを感謝します。あなたは、あなたたちを罪に定めないから、わたしの掟に従って生きるようにと励ましておられることを感謝します。
- ただ、このことを知らない信仰者が沢山いることを思います。だから伝えたいです。今の私がどのようにしたらできるのか、教えてください。ブログにキリストによる救いと題して書くこともできますが、あなたの御心はどこにあるのでしょうか。教えてください。祈ります。
☆与えられた導き
- パウロが語る真理を伝える方法を祈り求める。