ローマ 7章25節 神に感謝
2024年5月1日
(内容)
- 主イエス・キリストを通して罪と律法の支配から解放されたことをパウロは神に感謝している。
(黙想)
- 6章から7章で人間には仕える相手が二種類あることが語られる。6章16節によれば、私たちは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に仕える奴隷となって義に至るかが語られる。後者は義に仕える(6:18)とも言われている。神に仕えるか罪に仕えるか、である。勿論誰も罪に仕えるつもりはない。
- 神に仕える道も、二通りある。一つは律法に仕えることを通して神に仕える道。これは文字に従う生き方であり、もう一つは霊に従う新しい生き方である。
- 7章7節以降でパウロは、「わたし」と語る人物について語っている。彼は心では神の律法に仕えている(7:25)。しかし、罪と律法から解放されていないために、罪の法則に仕えている。つまり罪の奴隷となっている。罪は律法を利用して律法に仕える者を罪の奴隷にさせるのである。心では神の律法に仕えていても罪の奴隷となってしまい律法を行えない自分を「わたし」は何とみじめな人間なのかと嘆いている。
- しかし解決は6章に書かれている。キリスト者は洗礼によってキリストに結ばれ、罪と律法から解放されている。霊に従う新しい生き方がキリスト者に開かれている。
- キリスト者は自分が罪と律法から解放されていることを信じることが大切である。そして霊に従う生き方をすることが大切である。
- パウロは、キリスト者はこのみじめさから解放されていることについて、神に感謝をしている。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>罪と律法から解放されていることを理解する。
- <勧め>罪と律法から解放された歩みのできることを感謝する。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、パウロを通して、福音の真髄を聞く思いがします。しかし霊的な事柄なので、このロマ書を読めばすぐに理解できるものではないことを思います。私自身も理解するのに時間がかかりました。時間はかかりましたが理解できたことを感謝しています。
- ロマ書の6章と7章について分かりやすく、解説する内容をブログに書きたいと思います。時間がかかるかもしれませんが、導いてください。まず祈ります。
☆与えられた導き
- ブログに書くことができるように祈りから始める。