マタイ福音書 5章3節 心の貧しい人々
2023年6月12日
(内容)
- 心の貧しい人たちは幸いである。
(黙想)
- 日本語では「心の貧しい」と訳されているが、ギリシャ語では「霊において貧しい」となっている。霊という言葉は、神との関わりを暗示している。世の人たちが「心が貧しい」「心が豊かである」ということとは区別しなければならない。
- 「霊において貧しい」とは、神との関わりに生きることが少ないことを言うのではないか。神の御心を思うこと少なく、自分の思いを中心に生きている人を言うのではないか。そういう人は、自分がそうであることを自覚はしていない。自分の霊における貧しさは、聖書に触れることにより、気づかされるのではないか。
- 天の国とは、人が死んだら行くとされる漠然とした素晴らしいところという意味ではない。それは神の御支配を意味する。イエスは、「天の国は近づいた」と宣べ伝え活動を始めた。神と関わりを持ち、神の御支配の中に生きるように人々を招かれた。
- 神との関わりに生きようとしない人は、皆、霊において貧しいのである。霊において豊かな人は、あまりいない。多くの人は神のみ心に無関心である。しかしそのことに気づき、神との関わりを深めようとする人は幸いであるとイエスは言う。
- なぜ幸いなのか。イエスは幸いへと人々を招かれる。招きに答え、神との関わりに生きてみないと、その幸いはわからない。信仰は神との関わり、交わりに生きることが出発点である。
- 霊における貧しさを考えた時、自分はどのようにしたらよいのか。自分は霊において豊かであるとは決して思ってはいけない。常に貧しい者であることを思うべきである。聖書に親しみ、祈ることが大切だ。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
<教え>霊において自分が貧しいことを思うべきである。
<勧め>聖書に親しみ、祈りに励むこと
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、私は霊において貧しいからこそ、あなたを求めます。聖書に親しみ、祈りに励みます。そしてあなたの御心を求めたいと思います。今の自分をどう変えたらよいのか、と思います。
- 大切な課題として祈り続けていることがありますが、それらの課題に関して、あなたの御心がどこにあるのかを知りたいと思いました。自分の願うことと、あなたの御心が違うなら、祈りは変える必要があります。まずは御心がどこにあるのかを教えて下さいと祈りたいと思います。
☆与えられた導き
- 御心がどこにあるのかを教えていただく祈りをする。