マタイ福音書 5章27~30節 心を清める
2023年9月26日
(内容)
- 昔の人は、姦淫するなと命じたが、イエスは他人の妻を淫らな思いで見る者は、心の中で姦淫していると教えた。
(黙想)
- 他人の妻と訳されている。口語訳、新しい聖書協会共同訳は女と訳されている。
- 昔の人は、ファリサイ派、律法学者たちと理解する。彼らは十戒を文字通りに理解する。だから文字通りの姦淫さえ行わないなら、自分はこの戒めを守っていると考える。自分は神に従って生きていると考えることができる。
- しかしイエスは、神の戒めの真の意味を教える。心が問題なのである。情欲をもって女を見る者も姦淫したに等しいとイエスは教える。問題は心なのである。欲望の対象として女性を見ることは、女性の人格を軽んじることになる。
神そしてイエスは心を問題にする。右の目があなたをつまずかせるなら、右目をえぐりだして捨てなさいとの教えは、強烈である。目をえぐり出すことなどできない。この教えは、心を徹底的に清くすることを教えている。 - 残念ながら、私たちの心には悪しき思いが湧いてくる。だから私たちは罪深い人間である。しかしキリストを信じるゆえに私たちは義とされている。悪しき思いが湧いてくることは罪を犯したことにはならないと考える。問題は、その思いに流されて情欲をもって女を見ることを続けることである。他者に対する批判的な思いを感じて、批判的な思いを持ち続けることが罪である。罪のゆえに心が汚れる。湧いてきた思いをすぐに否定すれば、罪を犯したことにはならないと考える。心を汚していない。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>悪しき思いが湧いてきた時に、悪しき思いに流されることは心が汚れることを許すことであり、気をつけなければならない。
- <勧め>心の清い人々は幸いであると教えられている。その人は神を見ると約束されている。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。今日は心の清さを保つことを教えられました。女性を欲望の対象として見ることは姦淫を犯したに等しいとイエスは教えられました。目から情報が入ってきます。目に女性の姿が入ってきた時、どんな思いが心に去来するのか、意識して、心が汚れないようにします。
- 他者を見る時、批判的な思いが湧いてくることもあります。他者と自分を比較して、嫉妬する思いが湧いてくることもあります。悪しき思いが湧いてきた時、思いを他のことに向け、悪しき思いに心が汚されることを拒否します。今日の一日お守りください。
☆与えられた導き
- 悪しき思いを拒むこと。