マタイ福音書 26章26~30節 主の晩餐
2021年3月6日
(内容)
- イエスは過越の食事のとき、パンを裂き弟子たちに与え、また杯から飲むように命じた。それはイエスの十字架の死の意味を明らかにするものであった。
(黙想)
- 裂かれたパンと杯に入っているぶどう酒は、十字架の上で裂かれたイエスの体と十字架で流されたイエスの血を意味している。そして血は、罪が赦されるように、多くの人のために流される血とされ、十字架でのイエスの死が、罪の赦しと関係のあることがわかる。その血は契約の血とも言われる。
- 旧約のレビ記では、人が罪を犯した場合、罪の赦しのためにいけにえを献げることが教えられている。いけにえを屠り、その血に対する扱いが詳細に書かれている。それにより罪の赦しを得ることができる。イエスはご自身を罪の赦しのためのいけにえとして献げられたのである。
- また神と人との間の契約を結ぶ時に血が流されることも聖書に書かれている。奴隷であったエジプトから脱出した民は神に導かれ、シナイ山の麓に来て、そこで神と契約を結んだ。神はイスラエルのことをわたしの宝の民と呼び、彼らの神となることを約束し、イスラエルの民は神の民となることを約束した(出エジプト24章)。ここの契約が成立した。
- 預言者エレミヤは神がイスラエルと新しい契約を結ぶ日について語る(エレミヤ書31章)。イエスを信じる者は新しい神の民として神と契約を結ぶことになる。イエスが契約の血というとき、イエスの血は神とイエスを信じる者の間の契約を成立させるために流される血のことをいう。
- 我々が礼拝で聖餐にあずかる時、罪の赦しを感謝し、また神の民として生きるべきことを自覚する。神の民として生きることができる、これが福音である。
- この契約を思う時、人間との交わりに生きていきたいとの神の強い意志を感じる。たとえば夫婦の間で、一方が不倫をしたとする。それで夫婦が離婚したとしても不思議ではない。しかし不倫された方が相手を赦し、しかもその不倫の事実を忘れて、なお夫婦として愛し合って生きることを願うなら、そこには伴侶と共に生きていくとの強い意志を感じる。
- 神はイエス・キリストを信じる者の罪を赦し、その罪を思わないという。
エレミヤ31:33~34
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
- 神は、信仰者の罪を赦し、その上にそれを心に留めることをせず、信仰者の神となると約束されるのである。ここにあるのは、神の愛である。我々は伴侶が不倫したら、自分のプライドからして相手を赦さず、離婚するかもしれない。相手の不倫を赦し、それを忘れ、それでもなお相手を愛して生きていこうとすることはなかなかできない。神の愛はこれを行う。しかもすべての人間に対して。神の愛は、大きな愛、深い愛、広い愛であることを教えられる。
- 我々がどんなに不実な人間でも、赦し、愛し、交わりに生きようとしてくださるのである。この神の愛を知るなら、自分も神を愛して生きて行きたいと思うのではないか。神の愛について黙想を深めたいと思う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>自分の命を罪の赦しのためのいけにえとして献げる方。
- <御父>イエスを信じる者と契約を結び、その者の神となってくださる。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>イエス・キリストを信じる者は罪を赦される。
- <教え>私たちの神となってくださる神の愛は尋常ではない。不実な者の罪を赦し、不実な者の罪を思い出さず、なお不実な者を愛し、不実な者から愛されることを願う神の愛である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。主の晩餐の記事を通し、あなたと私の間の契約を思いました。あなたはわたしの神となってくださいます。あなたは私の罪を赦し、私の罪を思い出さず、なお私を愛し、私の神となってくださいます。あなたの愛の大いなることを教えられます。人間にはあなたの愛を真似ることはできません。プライドや損得勘定が働き、あなたのように心を広くして、相手を愛することはできません。深い愛でもってあなたから愛されていることをあらためて知らされ感謝します。
- わたしの神となってくださるとの神さまの強い思いを受けとめます。明日は礼拝で聖餐式があるので、あなたの愛を今一度受けとめたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- 明日の聖餐式、神さまの愛を受けとめること