ローマ 6章19節 聖なる生活
2023年11月14日
(内容)
- 自分の五体を義の奴隷として献げ、聖なる生活を送りなさい。
(黙想)
- この19節は、13節と同じことを語っている。まずキリスト者がしてはならないことが挙げられる。
6:13
また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。6:19
かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、
- まずキリスト者になる前、人は五体を通して罪を犯していた。
- 五体とは、体の部分を指す言葉である。目は見る。口は言葉を出す。耳は聞く。手足は動く。五体の活動は私たちの活動である。私たちは五体を通して、情報を得る。情報をもとに心は、感じ、考え、意志する。その結果として、行動が生まれる。その行動は、五体を通して現れる。
- 罪は人間の五体を通して人間を支配しようとする。この五体のことを「肉」と呼ぶこともできる。人間には肉の性質がある。つまり罪に傾く心がある。人は生まれつき罪に傾いた心を持っている。
- 人格としての「私」はキリスト者になった時点で、罪から解放されている。私は罪を犯したいとは思わなくなった。罪を犯してもいいとも思わなくなった。神のみ心に従い、聖なる生活を送りたいと考えるようになった。
- ところが五体を通して色々な情報が入ってくると、心は、罪を犯す方向に傾く。その心(私の心)と人格としての「私」が戦うことになる。キリスト者になる以前は、信仰がないので、心に従って行動する。心の思いに従って行動する。
エフェソ 2:3
わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
- キリスト者になって間もない頃の私たちは、神の御心に従おうと考える。しかし思いがけない悩みを抱える。
- ローマ 7:18
わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 - 神の御心を行わせないように強力に働きかける罪の力を知る。罪の力は五体を通して働く。しかしキリスト者は、キリストに結ばれたことを信じ、キリストと共に死んで、キリストと共に新しい命に生きることを知る時、罪に勝利できることを知る。体験する。もはや罪の奴隷ではなく、罪に打ち勝つことができることを知る。
- 五体を通して罪に誘う力に抵抗することができる。この抵抗のためには、まず神のみ心に従うという信仰者の決心と聖霊の助けが必要である。
- キリスト者は義の奴隷として、この決心をし聖霊の助けを求める。キリスト者は、義の奴隷として、神の救いの約束を信じる。キリストを信じて義とされる、これが最初の約束である。この約束の実現は、神の恵みによる。人は自分の努力ではなく、神の恵みによって義とされる。
- キリスト者は恵みの下にあり、恵みの支配下にある。つまり神の約束は信じる者に効果をもたらす。つまり罪に勝利することができるのである。聖霊の助けも神の恵みである。この恵みの下に自分があることを信じて生きる。それが義の奴隷である。
- アブラハムのように神の言葉、神の約束を信じる者を神は義と認める。それゆえ、義の奴隷とは、神の言葉、神の約束に縛られて生きる人のことである。神の言葉、神の約束を徹底して信じて生きる人のことである。
- 聖なる生活とは、罪に打ち勝って生きることであり、神のみ心に従って生きることである。神の恵みがそれを可能にすることを信じることが大切であり、神の恵みを信じて生きるのである。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>聖なる生活を行うこと
- <勧め>五体を義の奴隷として献げること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ、感謝します。
- 五体を通して心の中に情報がもたらされ、心は情報を処理します。それゆえ、悪しき情報とは関わりを持たないことが大切です。何を見るのか、何を聞くのか、気をつけたいと思います。そして神の子として生きるために良い情報に触れることを心がけたいと思います。聖なる生活を送るために、特に祈りと関連して、良い情報に触れたいと思います。手軽なこととして、関心を広げて新聞を読んでみたいと思いました。老いても老いたからこそ、祈りは大切な行為です。祈りにおいて、聖なる者としてどのように祈っていくのか、導きを得たいと思います。
☆与えられた導き
- 関心を持って新聞を読む。