ローマ 6章6節 古い自分は死んだ(2)
2023年7月13日
(内容)
- 私たちの古い自分はキリストと共に十字架につけられた。
(黙想)
6:6 わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
- 古い自分はキリストと共に十字架につけられて死んだ。古い人とは何か。古い自分とあるから、新しい自分もあることになる。5章では、アダムとキリストが対比されていた。
- まずすべての人は生まれながらにアダムのように、罪を犯し、死ぬ者となっている。キリスト者になる以前の私たちであり、これが古い人である。生まれながらの人を言う。
- 洗礼を受け、キリストに結ばれた人は、キリストを信じて義とされ、新しい命に生きる。これが新しい人である。
- キリストを信じ洗礼を受けた人はキリストと共に死に葬られた。キリスト者になる以前の古い人はキリストと共に死んだ。洗礼を受けた者はキリストに結ばれ、キリストが復活したように、新しい命に生きる者となった。
- 私たちは今や新しい人である。洗礼を受けた人は、キリストに結ばれ、新しい人となった。罪を犯して生きていた古い人は死んだ。
- 「罪に支配されたからだ」とある。このからだは何を意味するのか。文字通り私たちのからだを意味する。罪に支配されたからだとあるように、このからだは罪に支配されてきた。からだには肉体がある。さらに心もある。からだを持つ人間には、肉体を持つことに伴う欲がある。心を持つことに伴い、自己中心性があり、利己性があり、さらに精神的な欲があり、また神に逆らう思いもある。
- キリスト者といえども、からだを持つ限り、からだを通して罪の力が働き、キリスト者を罪へと誘う。キリストを信じる以前の古い人は、罪を犯して生きていた。からだを通して罪に支配されていた。キリストを信じキリストに結ばれた人は、新しい人となった。しかしからだを持つゆえ、罪の働きかけがある。
- 罪に支配されたからだが滅ぼされと訳されている。「滅ぼされ」は、無力化されたと訳すのがよい。キリスト者のからだを通して働く罪の力は、無力化された。しかし、罪の力はゼロではない。罪の力はキリスト者を絶対的に支配することはなくなった。言い換えるとキリスト者は罪から解放されたのである。でも罪の力は働く。罪の力は働くがキリストに結ばれ、恵みの支配の中にあるので、罪の奴隷ではなくなった。罪に勝つことができる。
- 新しい人の心は神を仰ぎ、神のみ心に従って生きようとする。からだを通して罪の力が働くが、罪の力は無力化されているので、キリスト者は罪に打ち勝つことができ、罪の奴隷ではない。
- この世にある限り、からだを通して罪の力が働く。しかし終末の時、このからだは、キリストの栄光あるからだと同じに変えられる(フィリピ 3:21)。
- 生まれながらの人間、つまり古い人はからだを通して働く罪の力に支配されてきた。キリスト者はキリストに結ばれ、新しい人となった。神を信じ、神を愛し、神の御心を大切に思い、信仰に生きようとする。そこで罪との戦いが生じる。しかしもはや罪の支配は受けない。罪の奴隷ではなくなった。新しい人は神の恵みの下に生きる。そして罪に勝つ。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>私たちを信仰へ導き、洗礼を授け、キリストに結ばれた者として下さる。キリスト者はもはや古い人ではなく、新しい人となった。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>キリスト者は新しい人とされた。神を礼拝し、神を愛し、神の御心を大切にし、神の御心に生きようとする新しい人にされた。
- <教え>からだを持つキリスト者には、からだを通して罪の力が働く。その力は無力化されており絶対的なものではない。打ち勝てないものではない。神の御支配の中に生きる私たちは打ち勝つことができる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、古い人、罪に支配された体、これらが何を意味しているのかを正確に理解することは簡単ではありません。いつもあいまいなものが残っていましたが、今回は、ロイド・ジョンズ先生の本で学び、スッキリと理解することができたことを感謝します。
- だから、このことを伝えたいと思います。ロマ書について、沢山本が書かれており、学んできましたが、いつもあいまいなものがありました。結局著者自身の理解があいまいなのだと思います。
- キリスト者の罪との戦いの構造が見えてきて、スッキリしました。ロイド・ジョンズ先生の本でさらに学び、パウロが語ろうとしていることをきちんと理解したいと思います。導いてください。
- 今日の箇所の解説をもう一度読み直し、理解を確かなものにします。
☆与えられた導き
- ロマ書の解説を読み直す。