マルコ福音書15章42~47節 イエスの遺体と向き合う
2023年1月28日
(内容)
- 十字架でイエスは亡くなった。アリマタヤのヨセフが、イエスの遺体を引き取り、墓に葬った。
(黙想)
- ヨセフが遺体引き取りを願ったとき、ピラトは不思議に思ったとある。十字架にかけられた犯罪者が亡くなるまで、もっと時間がかかるのが通例だったので、こんなに早く死んだのか、とピラトは不思議に思ったようである。
- ヨセフは勇気を出して遺体を引き取ったとある。なぜ勇気が必要だったのか。彼は高い身分の人だったので、イエスの遺体を引き取るなら、イエスとの関係が話題にされることを恐れたのか。でも勇気を出して主イエスの遺体を引き取った。人は他人からどう思われるのか恐れる面があり、その恐れのためにしたいと思うことをしないこともある。ヨセフは勇気を出して自分がすべきことと考えたことを行った。
- ヨセフは神の国を待ち望んでいたとある。神の国は近づいたとイエスは宣教を始めた。ヨセフはイエスを信じていたことが分かる。それ以外のことはわからない。遺体を引き取る、それは彼がイエスを信じていた証である。
- しかしそのイエスは十字架で処刑されてしまった。彼もその一員であったサンヘドリン、最高法院の議決でイエスは死刑に処せられた。ヨセフがイエスの死をどう理解したのかはわからない。理解できるわけがない。しかしイエスの遺体を引き取り、亜麻布を遺体にまき、墓の中に納めた。ヨセフは身分が高いとあるので、彼の使用人に作業を手伝わせたのではないかと思う。
- ヨセフはどんな思いでイエスの遺体に亜麻布を巻いていたのかと思う。僕がヨセフだったらどんな思いで亜麻布を巻いただろうか。目の前にある現実は、イエスが死んだということである。イエスの活動は終わったということである。ヨセフはイエスの働きを回顧していたと思う。イエスとの直接的な関わりがあったのかどうかわからないが、イエスの語ったこと、イエスの行ったことを思い起こしていたにちがいない。そしてこの場面でイエスの遺体と向き合っている。イエスのそば近くにいたことになる。
- 彼はイエスのことを想起しながら、亜麻布を巻いて、墓に納めた。それを見ていた女性たちがいた。彼女たちは、イエスの亡骸に油を塗ることを考えている。彼女たちもイエスを見守り続けた。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエスは死んだ。仮死ではない。三日後の復活は死者の復活であり、仮死状態の人間が生き返ったのとは違う。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>イエスは世の終わりまであなたと共にいると言われた。ヨセフが亜麻布を巻ながらイエスと対峙したように、僕もイエスとあらためて向き合いたい。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、主イエスはその生涯を終えました。ヨセフは、主イエスの遺体を亜麻布で巻きながら、主イエスと対峙していました。彼がその後どのように生きたのか分かりませんが、主イエスは彼に決定的な影響を与えたと思います。そして私もまた、主イエスを信じ、私の人生は変わりました。
- 主イエスとの出会いにより、私の人生はどのように変えられたのか、想起してみたいと思いました。そして主イエスとの出会いを感謝することが主と共に生きることなのだと思いました。私の生涯は主イエスを信じてから変わりました。
☆与えられた導き
- 主イエスとの出会いにより人生がどのように変えられたのか、振り返る。