マルコ福音書 16章1~8節 復活の予告
2023年1月31日
(内容)
- イエスが葬られた墓に行った女性たちは、墓の中に入り、白い衣を着た若者からイエスは復活したと聞いた。さらにイエスはガリラヤで弟子たちと会うことができるとの弟子たちへの伝言を聞いたが、恐ろしさに震えて墓から逃げ去った。
(黙想)
- イエスが葬られた墓は、大きな石で閉じられていた。3人の女性は、イエスの遺体に油を塗るために墓に出かけた。墓の入り口を塞いでいる大きな石を転がさないと墓の中には入れない。墓の中に入れる見通しがないのに、彼女たちは墓に行った。大きな石で入り口が閉ざされていたらどうするつもりだったのか。
- ところが墓に着いてみると大きな石が脇へ転がしてあった。これは思いがけないことであった。予想外のことであった。女性たちは墓の中に入ることができた。見通しがないから、行動しないというのも一つの考え方であるが、思い切って行動してみたら思いがけず道が開かれることもある。
- 墓の中には白い衣を着た若者がいて、女性たちは驚いた。墓の中にどれほど入ったのかわからないが、墓の中は暗いにちがいない。慎重に中に入っていくと、そこに人がいるのである。女性たちが驚くのは当然である。薄暗い墓の中に入っていくのは気味が悪い。それともたいまつみたいに何か灯りを用意して中に入ったのか。暗い墓の中でイエスの亡骸に油を塗るのはむずかしいと思われる。
- 人がいるのに驚いた女性たちにその若者は語る。「イエスは復活してここにはいない。兼ねて言われたとおり、ガリラヤに行けばイエスに会える」。
- 「兼ねて言われたとおり」とある。マルコ14章27節以下。イエスが弟子たちが皆イエスにつまずくと語った場面である。ペトロの裏切りを予告したときである。その時、イエスはご自分の復活とガリラヤに行くことを弟子たちに伝えている。
- イエスは起こることをあらかじめ伝えている。イエスは三度弟子たちにご自分の苦難と復活を伝えていた。弟子たちがイエスに躓くことを語った場面でも復活を語っている。イエスは起こることをあらかじめ伝えている。復活は弟子たちの理解を超えていたので、弟子たちはどれほど心に留めていたのか。
- 女性たちは、正気を失い、恐ろしさに駆られ、墓から逃げ去ったとある。この「恐ろしかった」を畏敬の念に包まれたと解釈する人がいるようだが、気味の悪さによる恐れおののきに近いのではないか。
- マルコ福音書の本文はここで終わっていたという理解が定説のようであるので、マルコのデボーションは、今回で終了。マルコはイエスの復活を告げ、ガリラヤでの再開を約束するイエスを伝えて終わっている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>ご自分が復活し、ガリラヤで会うことになるとイエスは、あらかじめ伝えていた。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>あらかじめ語られていることに注意を払うこと。イエスはご自身の復活について、再臨について語っておられる。再臨はこれから起きることであり、私たちに語られていることになる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝です。女性たちは大きな石が墓を閉ざしていることを知っており、石をどのようにして転がしたらいいのか、話し合っていました。見通しがないのに行動しています。しかし墓に着いてみると大きな石は転がされていました。事態の展開に見通しがなくても、あなたの御心にかなうなら、道が開かれることを教えられる思いがします。
- また主イエスは、ご自身の復活とガリラヤで弟子たちに会うことをすでに弟子たちに語っていました。主イエスがすでに語っていたことが実現する、心に留めるべきことですね。主イエスは私たちにご自身の再臨について語られ、これはまだその時が来ていません。
- あなたが、あるいは主イエスがあらかじめ語られたことが現実になることを心に留めたいと思います。いいかえると聖書に書かれている神さまの約束を真剣に受けとめるべきことを教えられます。
- 老いた者としては、個人的な終末としての死、信仰者としては世界の終末のことを思います。人が死ぬことは定められており、また世の終末も聖書に語られています。
- 今日は、近藤勝彦著『キリスト教教義学』の「永遠の命」の部分を読むことにします。永遠の命もまた聖書で約束されています。
☆与えられた導き
- キリスト教教義学を読む