マタイ福音書 27章57~61節 神から与えられた務め
2021年4月8日
(内容)
- アリマタヤ出身のヨセフは、ピラトに願い出てイエス様の遺体を引き取り、自分の新しい墓に葬った。
(黙想)
- このヨセフはイエスの弟子であったと書かれている。彼はここに初めて登場するので、イエスとどのように関わったのかは分からない。いつどこでイエスの話を聞き、イエスを信じたのか、わからない。聖書に登場する12弟子と関わりを持ったのかどうかは分からない。
- 彼はイエスの弟子であった。イエスが十字架に付けられることを知った。もしかしたらゴルゴダの丘で十字架にかけられているイエスを目撃していたかも知れない。彼は考えた。イエスの遺体はどうなるのだろう。放置しておけば、ローマの兵士たちが決められたやり方に従って遺体を処置するだろう。彼らに任せてよいのか、そんな思いを持ったにちがいない。
- ガリラヤの漁師だったり、もと取税人であったりした弟子たちがピラトのもとに名乗り出て遺体の引き取りをお願いするということも考えにくい。
- ヨセフはユダヤの最高議会(サンヘドリン)の議員であることは、マルコ、ルカが書いている。ヨセフはそれなりの身分、地位を持つ人である。ピラトのもとに出向き、お願いすることはできる。イエスの遺体を引き取ることができるのは自分しかいないのではないかと考え引き取ったのではないか。
- マグダラのマリアともうひとりのマリアが登場する。「そこに残り」とあるので、ヨセフに同行したと推測できる。ヨセフはイエスを埋葬したので帰ったが、二人の女性たちはそこに残り、墓の方を向いて座っていたとある。彼女たちは何を思っていたのか。イエスに従ってきたから、深い悲しみの中に沈んでいたのだろうか。日曜の朝、墓に行き、イエスの遺体に香料を塗るなどの相談をしたかも知れない。それともイエスが三度苦難に遭うことと三日目に復活することを語ったことを思い起こしていたのかも知れない。男の弟子たちは、マルコ福音書によれば、女性たちが復活したイエスに会ったと話しても信じなかったとある。しかし彼女たちはそこに思いを向けつつ墓を見ていたのかも知れない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>御子は十字架の上で死なれた。葬られたことはイエスが完全に死んだことを示す。
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>ヨセフは、イエスの遺体を引き取り、葬ることができるのは自分しかいないと考え、実行した。神さまが私にしなさいと言われているように思えることがあるなら、それを実行すること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、イエス様はその生涯を終えました。地上でイエス様がなさったことは中途半端に終わってしまったように思えます。二人の女性たちが座りながらイエス様が葬られた墓を見ていたとあります。彼女たちがどんな思いでいたのかと想像します。イエス様が亡くなり途方に暮れていたかもしれません。あるいは三日目に復活するというイエス様の言葉を思い出していたかもしれません。
- 私たちが途方に暮れることは確かにあります。でも神さまは私たちを途方に暮れるままに放置はなさらないと思います。この女性たちは日曜の朝、墓に来ました。そして彼女たちは復活されたイエス様に出会いました。彼女たちの心は喜びで満たされたと思います。
- 私はヨセフの心に思いを寄せます。イエス様の遺体を放置しておくわけにはいかない、そして自分しかピラトに遺体の引き取りを願い出ることはできないと考え、遺体を引き取り葬りました。遺体の引き取りを自分に与えられた務めと受けとめ、彼はそれを実行し、イエス様の遺体を墓に葬りました。
- 私たちには、これは神さまから与えられ、自分のなすべきことではないかと思うことがあります。それを感じたなら実行したいです。
- 天の父なる神さま、私は教会に仕える働きから引退しましたが、キリストの証人として別な形であなたに仕える思いで、インターネットを利用した発信をしています。ヨセフを思い、これをあなたから与えられた務めとあらためて受けとめます。これからも導いてくださるようにお願いします。
☆与えられた導き
- 祈りつつブログの発信を行っていく。