マルコ福音書 14章10~11節 罪に身をゆだねる
2022年11月26日
(内容)
- イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうと祭司長の所へ行った。金をもらう約束をし、イエスを引き渡す時を狙っていた。
(黙想)
- ユダがなぜ裏切ろうとしたのか、その理由は明確ではない。ルカ福音書では、サタンがユダの中に入ったと書かれている(22:3)。ヨハネ福音書もユダの中にサタンが入ったと書いている(13:27)。
- 聖書はユダが裏切った理由を書かず、サタンが入ったと書く。日本語では魔がさすというような言葉がある。
- ダビデが魔がさしてバテシバと姦淫を犯した。モーセも岩に水を出せと命じるように神から言われたとき、つい杖で岩をたたいた。人間には思わず、そして時にはそれが悪いと知りながら悪に身を任せることがある。ユダはわが身でもある。
- 日々の生活の中で、これはしてはいけないと知りながら、まあいいやと、御心に反することにわが身をゆだねることがある。ユダの行為はイエスの死を導くという点で重大な罪である。我々が日々の生活で御心に反することに身を委ねることは小さな行為に思えるかも知れない。しかし神の目から見れば、罪を犯すという点で同じだを思う。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>イエスを裏切ることをしない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、ユダのような裏切り行為は、重大であり、私たちはそのようなことはしないと考えてしまいます。確かにユダのようなことはしないかもしれません。しかしユダの行為はわが身の行為です。私たちも、小さな罪に身を任せてしまうことがあります。小さなことだからいいや、と身を任せてしまうことがあります。小さいゆえに、自分を許容してしまいます。
- 私は朝晩歯磨きをしていますが、歯磨きの手順を省略して簡単に済ませてしまうことや、朝の歯磨きを省略したりすることもあります。きちんとすべきだと分かっていても、さぼることをわが身に許してしまいます。ユダの心がわが身にはないとは断言できないことを思います。
- 今日、ユダのことを読みました。今日は朝、血圧を測ることをサボりました。怠け心のあることも知ります。怠け心、これもまた罪へと私たちを誘う危険なものであることに気づきます。
- こうして日々聖書を読み、あなたの御心を思うことが、罪への誘惑を断つことにつながっていることを思います。感謝です。今日のデボーションをブログに書くことにします。
☆与えられた導き
- ユダについての黙想をブログに書く